三世紀の倭国 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○日本最古の史書とされる「古事記」や「日本書紀」を読むと、嘗ての日向国の様子が判る。それを「古事記」や「日本書紀」では、日向神話として描いている。その主人公が神代三代なのである。

○神代三代である彦火瓊々杵尊・彦火火出見尊・彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の活躍した場が何処であるか。それを確認できる唯一の方法手段が神代三山陵となる。もちろん、そこが日向神話の主舞台であり、天皇家の故郷だと言うことになる。それ程、神代三山陵は重要である。

○江戸時代の国学者、白尾國柱は懸命に神代三山陵を探索している。それは彼が神代三山陵を探求することに拠って、天皇家の故郷が明らかになると判断したからではないか。その研究成果が「麑藩名勝考」として、結実した。「麑藩名勝考」は名著である。「麑藩名勝考」に学ぶことは多い。

○ただ、日本最古の史書とされる「古事記」や「日本書紀」は八世紀に成立した史書である。歴史的に見て、相当、新しい。できれば、もう少し、古い時代の史書が存在すれば、日本の歴史究明は大いに発展する。そういう意味で、「三国志」の記録は大きい。

○「三国志」は中国の正史の一つである。それも三世紀に成立しており、ほぼ同時代の日本のことを1986字も記録している。そういう著作は「三国志」以外に存在しない。そういう意味に於いて、日本の歴史を理解する上で、「三国志」には極めて高い史料価値がある。

○ただ、問題は「三国志」が誰にでも読める代物ではないところにある。「三国志」で日本のことを書いた部分、1986字を、日本では、特別に「魏志倭人伝」と呼び称している。そこだけを読んで、日本のことを知ろうとする人々が多い。

○しかし、それはとんでもない勘違いに過ぎない。まず第一に、日本人には「三国志」は読めない。それが中国の常識である。何故なら、中国の史書は、基本、中国の専門史家のみを読者対象として書かれているからである。中国の専門史家で無い限り、中国の史書は読めない。それが中国の常識である。

○したがって、中国人でも無い日本人には、もっと中国の史書は読めない。字は読めても、意味が理解できない。そういうふうに書かれているのが中国の史書である。まず、そのことを理解してから中国の史書は読むべきである。

○ところが日本では、誰でも「魏志倭人伝」が読めると信じて疑わない。「魏志倭人伝」くらいなら、素人の私にだって、読むことができる。誰もがそう思っていて、真顔で「魏志倭人伝」を読んだとおっしゃる。それが完全な誤りであることに全く気付かない。まるでおめでたい人間が日本人なのである。

○司馬遷の「史記」に『項羽本紀』がある。「史記」と言ったら『項羽本紀』だろう。司馬遷は皇帝になれなかった項羽を本紀に入れているくらい、項羽贔屓なのである。もちろん、私も項羽贔屓である。どれくらい贔屓なのかと言うと、『項羽本紀』全文を書写したことがあるくらい、贔屓にしている。

○字数にして、6996字。これを書いた司馬遷がどれ程の敬意を項羽に払って、『項羽本紀』をものしたか。それが理解できる数字である。この数字の意味が理解できないようでは、『項羽本紀』を読んだとは言わない。そういう読み方が中国の史書の読み方なのである。

○そんな馬鹿な、とおっしゃるかも知れない。しかし、もともと、中国の史書は専門史家のみを対象にしているのであって、それくらい、普通にクリアできないようでは、読む資格が無い。そういう芸当を要求する読書なのである。

○だから、誰もが懸命に史書を読む。項羽が何処で死んだか。ご存じだろうか。当古代文化研究所では、もちろん、その烏江を訪れている。『項羽本紀』を理解するために。日本人である私には、そういう努力も必要なのである。日本人の常識は中国では非常識そのものだからである。

  ・テーマ「西楚覇王霊祠」:ブログ『西楚覇王霊祠」

  西楚覇王霊祠 | 古代文化研究所 (ameblo.jp)

○「魏志倭人伝」を読むことは、その『項羽本紀』よりも、もっと難しい。どれくらい難しいかと言うと、彼の新井白石や本居宣長でも読めなかったのが「魏志倭人伝」である。三世紀に陳壽がものして以来、2010年まで、誰一人、「魏志倭人伝」を読むことができなかった。それくらい難しいものである。

○どうしてそんなことが判るかと言うと、「魏志倭人伝」の主題を誰も明らかにしていないからである。「魏志倭人伝」の主題は何か。それは倭国三十国の案内にある。そんな話は誰一人、しないしできない。それ程、「魏志倭人伝」を読むことは難しい。

○ちなみに、「魏志倭人伝」の主題である倭国三十国の案内は、次のようになる。

  【渡海三国】
    ・狗邪韓国・対馬国・壱岐国
  【北九州四国】
    ・末廬国・伊都国・奴国・不弥国
  【中九州二十国】
    ・斯馬国・巳百支国・伊邪国・都支国・邇奴国・好古都国・不呼国
    ・姐奴国・対蘇国・蘇奴国・呼邑国・華奴蘇奴国・鬼国・為吾国・
    ・鬼奴国・邪馬国・躬臣国・巴利国・支惟国・烏奴国・(奴国)
  【南九州三国】
    ・投馬国・邪馬台国・狗奴国

○表題に『三世紀の倭国』としたのは、そういうことである。三世紀当時、日向国の時代であったことは明々白々である。それを記録しているのが「三国志」である。陳壽と言う男は、何とも恐ろしい。これが文字の国、中国の実力である。