○寛政七年(1785年)に刊行された白尾國柱の「麑藩名勝考」で、もう一つ、気になるのが救仁湊である。直接、高屋山上陵に関係するわけではないが、記録しておく必要があるので、ここに記しておく。
○原文は、次の通り。
救仁湊(現存六帖○即内浦の湊にて、此処及大崎・志布志等の地を救仁院、
亦救仁郷と云ふ。)
現存六帖
誰しかも物そ悲しき小夜千鳥くにの湊を鳴て過なり
續後紀曰、承和七年四月癸丑(中略)、大宰府上奏、遣唐知乗船事菅原梶成等所駕第二船、
廻着於大隅國、(此大隅國は即内浦の湊なるべし。或は佐多・志布志等の間に瓢到せしにか。
此外は泊船の湊なし。)(以下略)
○「現存六帖」が如何なる書物であるかは、今のところ、確認できていない。
誰しかも ものぞ悲しき 小夜千鳥 救仁の湊を 鳴きて過ぐなり
なかなか味のある、良い和歌である。まさしく、ここに「救仁の湊」が歌われている。もちろん、それは現在の内之浦港である。
●問題は、「三国志」である。「三国志」巻三十の、倭人条を読むと、当時、魏國が認識する倭国は三十國だったと言う。倭人条を読み解くと、魏國が認識する倭国三十國は、次のように案内される。
【渡海三国】
・狗邪韓国・対馬国・壱岐国
【北九州四国】
・末廬国・伊都国・奴国・不弥国
【中九州二十国】
・斯馬国・巳百支国・伊邪国・都支国・邇奴国・好古都国・不呼国
・姐奴国・対蘇国・蘇奴国・呼邑国・華奴蘇奴国・鬼国・為吾国・
・鬼奴国・邪馬国・躬臣国・巴利国・支惟国・烏奴国・(奴国)
【南九州三国】
・投馬国・邪馬台国・狗奴国
●ここにある狗奴国が位置関係からして、大隅國であることは間違いない。その大隅國に狗奴国の存在を暗示する地名が存在することの意義は大きい。また、それが、嘗ての大隅國の中心であったと思われる肝属川流域であることは、そのまま、狗奴国が救仁國であることを意味する。それが白尾國柱の「麑藩名勝考」が記録する『救仁の湊』であり、『救仁院』及び『救仁郷』だと言うことになる。
●これが何を意味するかは、極めて重大なことである。それはどういうことかと言うと、神代三山陵が案内するのは、天皇家の故郷が何処かと言うことである。それが内之浦であり、肝属川流域だと言うことである。
●それに対して、中国の正史「三国志」が案内する狗奴国が同じく、内之浦であり、肝属川流域だと言う。それなら、天皇家の故郷は邪馬台国ではなくて、狗奴国だと言うことになる。極めて重大な話となる。と言うか、大いに興味をそそられる話である。
●それはどういうことかと言うと、邪馬台国と狗奴国の関係がそういうものであったことを意味する。つまり、「三国志」に従う限り、邪馬台国の卑弥呼が倭国三十国を代表する女王であった。ところが、それと敵対関係にあったのが狗奴国だったと言うことになる。
●今でも、薩摩半島と大隅半島とは仲が悪い。そう言ったら、語弊があるかも知れない。しかし、神代の昔から薩摩半島と大隅半島とは仲が悪かった。それは歴史が証明してくれることである。そうとしか言えない関係であり続けたことは間違いない。
◎つまるところ、天皇家の故郷が狗奴国であったことの意義は大きい。実はそれが大和国一宮が大神神社であることと、大きく関係している。大神神社の斎き祀る神様は天皇家の神様ではなくて、出雲神なのである。出雲神の故郷が鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島であることは、以下のブログで述べているので、そちらを参照されたい。
・テーマ「日向国の邪馬台国」:ブログ『邪馬台国サミット2021:卑弥呼の正体』
邪馬台国サミット2021:卑弥呼の正体 | 古代文化研究所 (ameblo.jp)
◎白尾國柱の「麑藩名勝考」は、私たちに多くのことを教えてくれる。そのためにも、もっと何度も「麑藩名勝考」を丁寧に読み返す必要がある。じつに意外なところに、その契機は潜んでいる。まさに救仁湊がそうである。ちなみに、鹿児島には救仁郷さんがいらっしゃる。