日向国:延喜式内社 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○2020年7月15日に、日向国一宮とされる都農神社へお参りした。その際、「日向国延喜式内社守幸給所」と言うものをいただいて帰った。それの拠ると、日向国の式内社は次の四神社であると言う。

  ・都農神社:宮崎県児湯郡都農町川北

  ・都萬神社:宮崎県西都市妻

  ・江田神社:宮崎県宮崎市阿波岐原町産母

  ・霧島岑神社:宮崎県小林市細野

○この「日向国延喜式内社守幸給所」は、そのまま、ご朱印帖となっていて、四神社全てをお参りし満願の際には、神璽印を押印していたけると言う優れものらしい。なかなか凝った趣向なのに感心した。

○今年、2020年は、「日本書紀」成立1300年の記念の年であると言う。せっかくなら、こういう行事を催していただきたいものである。「日本書紀」成立1300年の記念の年にふさわしい催し物であることに感心した。本来、「日本書紀」成立1300年の記念事業とは、こういうものを指すのではないか。

○「日向国延喜式内社守幸給所」では、延喜格式について、次のような説明が記されていた。

      延喜格式について

   平安時代の中頃、延喜五年(九〇五)の事です。第六十代醍醐天皇の命を受け、藤原時平たちが

  格式、今で言う法律の施行細則の編纂を始めました。時平の没後は、藤原忠平がその編纂を引き

  継ぎ、延長五年(九二七)に延喜格式は完成したのです。

   全五十巻、約三三〇〇条からなる律令官制には、皇室に関わる祭祀の取り決めなどが記載され

  たのです。

○また、式内社についても、次のように載せている。

      式内社について

   醍醐天皇の命を受けて成立した延喜格式の内、第九巻、第十巻には、神名帳(通称延喜式神名

  帳)があり、この神名帳に記載された神社は式内社と言われました。この式内社は、皇室の尊崇が

  篤く、度々幣帛供進があったと伝えられています。

   日向國(宮崎県)に於いては、承和四年に官社に預かった、都農皇神、妻皇神、江田皇神、霧島岑

  皇神の四神が式内社として列し、古来より皇室の尊崇を受けたのです。

○表紙には、

   宮崎の古社巡り

      延喜式内社巡拝

          日向國式内社会

とある。本来、こちらから案内すべきだったかも知れない。偶々、7月15日に都農神社へ参拝し、7月28日には、江田神社と都萬神社へお参りした。残りは霧島岑神社参詣を済ませるのみである。

○「日本書紀」成立1300年の記念の年である2020年に、まことにふさわしい記念事業である。是非とも、今年中に、延喜式内社巡拝を成し遂げたい。