○ブログ『吐噶喇列島:宝島』から『宝島って、どんな島?』と続けた次に、『普陀山の太陽崇拝』を書いたのには、もちろん、理由がある。それが『宝島と普陀山』の関係である。日本の吐噶喇列島の宝島と中国浙江省舟山群島の普陀山とは、東西におよそ600㎞離れた存在でありながら、密接な家計にある。多分、それは両方を訪れない限り、理解できないのではないか。
○当古代文化研究所では、2009年7月に、『吐火羅の旅』と題して、吐火羅列島を旅してきた。
・テーマ「吐火羅の旅』:19個のブログ
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○この『吐火羅の旅』が、2009年5月30日の硫黄島訪問、および、6月11日の竹島・硫黄島・黒島訪問に続くものであることは、言うまでもない。つまり、遣唐使船南島路を解明するために訪れたものである。それ以前に、坊津には何度も訪れている。
○遣唐使船南島路がどのようなルートであったか。克明に記したものは無い。それがおそらく、次のようになるのではないか。そういうふうに、当古代文化研究所では、判断している。
・坊津⇒硫黄島(56㎞)
・硫黄島⇒口永良部島(36㎞)
・口永良部島⇒吐噶喇列島口之島(59㎞)
・吐噶喇列島口之島⇒吐噶喇列島中之島(14㎞)
・吐噶喇列島中之島⇒吐噶喇列島諏訪之瀬島(28㎞)
・吐噶喇列島諏訪之瀬島⇒吐噶喇列島悪石島(24㎞)
・吐噶喇列島悪石島⇒吐噶喇列島宝島(50㎞)
・吐噶喇列島宝島⇒舟山群島(600㎞)
・舟山群島⇒寧波(150㎞)
・寧波⇒会稽(100㎞)
○それを実際に行ってみようと言うのが、硫黄島への旅であり、吐噶喇列島の旅だった。『吐火羅の旅』では、念願だった宝島までを往復している。
●その三年後、2012年3月12日に、中国浙江省舟山群島の普陀山へ参詣することが出来た。これも前々から希求していたことだった。ただ、普陀山へ参詣するには個人旅行しか考えられない。それで行くことがなかなか難しかった。一念発起して、何とか、一人旅で普陀山参詣の目的を果たすことができた。
●もちろん、それには、寧波在住の李さんと言う通訳兼ガイドの存在が大きい。この時の旅では寧波に5泊して、寧波から各地へ足を伸ばした。当時、李さんは26歳の若者だった。彼に出遭えたことが幸運だった。中国旅行について、李さんには多くのことを教わった。お陰で、その後、毎年、数回、中国を訪れるようになった。
◎舟山群島の普陀山で、最初に洛迦山を眺めた感動を今でも忘れることが出来ない。それは三年前に吐噶喇列島の宝島でみた風景とまるで同じ風景だった。だから、普陀山は宝島なのである。逆に言うと、宝島は普陀山なのである。
◎これまで、6回、普陀山には参拝している。そうすることで、普陀山がどんなところかを知ることができると思うからである。普陀山の信仰がどういうものであるか。意外に知られていない気がしてならない。
◎それは、普陀山の信仰は、これまで何度も中断を経験しているからである。それで、普陀山の信仰自体が見失われてしまっている。そういうものを復元する必要がある。だから、何度も出掛けているわけである。それでも、全部を理解することは容易ではない。
◎普陀山から洛迦山を遥拝すること。それが普陀山信仰の原型ではないか。もちろん、それは太陽崇拝でもある。同じものを宝島でも見ることが出来る。それが宝島から遥拝する小宝島である。残念ながら、日本の宝島では、そういう信仰を完全に見失っている。
◎と言うか、宝島では宝島が三宝の島の謂いであることすら、見失っている。何とも寂しい話である。文化は耕さない限り、文化とはならない。そういうことを如実に案内する事例である。東西600㎞を隔てて、宝島と普陀山の両者は密接に繋がっている。