宝島って、どんな島? | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○前回、ブログ『吐噶喇列島:宝島』で、十島村の「宝島パンフレット」に、『宝島って、どんな島?』と言う案内があることを紹介した。

      宝島って、どんな島?

   トカラ列島の有人島では最南の島で、隆起サンゴ礁でできたハート形をした島 です。その名のとお

  り、昔イギリスの海賊、キャプテン・キッドが財宝を隠したとい う言い伝えがあり、財宝を隠したといわ

  れる鍾乳洞もあります。  実際に国内外から多くの探検家や賞金稼ぎが訪れたといわれ、歴史的に

  みて も、宝島というネーミングにふさわしいロマン溢れる島です。またサンゴ礁に囲ま れた海のエメラ

  ルドグリーンと白い砂浜のコントラストが美しいです。

○幾ら何でも、これではあまりに宝島が可哀想だと言うものである。宝島の1700年にも及ぶ歴史は、ここには微塵も見られない。それに、キャプテン・キッドが財宝を隠したから宝島と言うのでは、あまりに宝島を冒瀆した話である。行政が宝島について、何も勉強していない。何とも文化の無い話である。

○吐噶喇列島の宝島は、決して財宝の島などでは無い。それは宝と言えば財宝だと勘違いした近代人の浅知恵以外の何物でもない。古代人はもっと崇高に生きていた。財宝などに頓着する人などは、誰も尊敬しない。人間には物よりも遥かに大事なものがある。それが信仰である。そういう時代に誕生したのが宝島の名である。

○すなわち、宝島とは、三宝の島の表現に他ならない。その三宝を説明すること自体が何とも悲しい話である。しかし、説明しないと判らないので説明する。

      三宝

   三宝(さんぼう、さんぽう、梵: ratna-traya, trīṇi ratnāni)とは、仏教における「仏・法・僧」(ぶっぽう

  そう)と呼ばれる3つの宝物を指し、仏陀と法と僧(僧伽=そうぎゃ、さんが)のこと。この三宝に帰依し、

  その上で授戒することで正式に仏教徒とされる。なお、3つという数については、3を聖数とする習俗や

  信仰とのかかわりも指摘されている。

  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%AE%9D

○つまり、宝島とは仏教に帰依するものの島の謂いであることが判る。薩摩國名が諸菩薩摩訶薩に由来するのと全く同じなのである。日向国ではそれくらい仏教が盛んであったし、仏教立国であった。そういうことを理解しないと宝島は見えて来ないのである。

○それも、全然歴史が違う。断然古いのが宝島の歴史である。ある意味、此処には日本の歴史の始まりを見ることが出来る。それくらい古い歴史を有するのが宝島なのである。

○しかし、残念ながら、現代の宝島を訪問して、そういう歴史の残存を探すことは容易ではない。ただ宝島を訪れるだけでは、そういうことを理解することは難しい。そういうことを知るには、日本側の文化歴史の流れを理解することが必要だし、加えて、中国側の文化歴史の流れをしることも要求される。そうすることに拠って、初めて、宝島がどういう島であるかを知ることができる。

○あらためて、『宝島って、どんな島?』を考えると、それは信仰の島であり、仏教信仰の島だと答えるしかない。それも太陽崇拝と言う、変わった信仰でもある。ただ、そのことは、理解すれば、二十一世紀の現代でも見ることができる。

○しかし、残念なことに、宝島の人々はそのことに、誰も気付いていない。財宝の島であり、キャプテン・キッドの島であることを喜んでいるようでは、到底、宝島の真の価値を理解することはできない。それはすなわち、『宝島って、どんな島?』と言うことと真剣に向き合わない限り、見えては来ないのである。

○当古代文化研究所では、2009年7月に、初めて吐噶喇列島の宝島を訪問することができた。それは坊津や枕崎から硫黄島を経て、口永良部島、口之島と続く遣唐使船南島路を確認する作業の一環であった。

○その後、2012年3月に、中国浙江省の寧波や舟山群島普陀山を訪問する機会を得ることができた。そのお陰で、『宝島って、どんな島?』の研究は、飛躍的に進んだ。次回は、そういう話をしたい。