○本ブログでは、書庫名を「肝属町の三岳参り」としている。「肝付町の三岳参り」の誤りではないかとの指摘があるかも知れない。実際、行政では肝付町となっている。しかし、実際、鹿児島県肝属郡肝付町である。何とも、面倒な話である。どうにかして欲しい。そう思っているのは、私だけではあるまい。行政が必ずしも正しいわけではない。
○川の名も、肝属川である。郡名も肝属郡である。それなのに、わざわざ肝付町と町名をするのも、いかがなものか。そんな話は無かったのだろうか。もともとは大隅国大隅郡大隅郷が大隅国には存在したと言う。そういうふうに、肝属郡肝属町とするのが常識ではないか。鹿児島には肝属姓もある。
○だから、敢えて、書庫名は「肝属町の三岳参り」としている。もっとも、鹿児島で、肝属地名が何を意味するか。寡聞にして、そんな話を聞いたことがない。極めて大事な話だと思うのだが。
○仕方が無いので、勝手に自説を唱えている。それが『かもつきのあひら』である。つまり、『きもつきの』が「あひら」に掛かる枕詞だとする。それが訛って『かもつきのあひら』となった。それを裏付けるものが鹿児島県肝属郡にはある。
○このことについて、随分前から、何度も書いている。
・書庫「奥駈道を歩く(吉野から弥山まで)」:ブログ『吾平山陵の正体』~2011年6月2日~
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/34955902.html
・書庫「奥駈道を歩く(吉野から弥山まで)」:ブログ『吾平山陵の正体◆戞腺横娃隠映6月3日~
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/34962642.html
・書庫「狗奴国・救仁国の風景」:ブログ『かもつきのあひら』~2012年2月3日~
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/36169410.html
・書庫「狗奴国・救仁国の風景」:ブログ『神社考』~2012年2月20日~
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/36233853.html
・書庫「世界上最美麗華貴之城:杭州」:ブログ『狗奴国の風貌』~2013年7月21日~
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/37996542.html
・書庫「「おしえて邪馬台国」の不思議」:ブログ『かもつきのあひら』~2014年9月6日~
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/39083092.html
・書庫「日向国の邪馬台国」:ブログ『かもつきのあいら』~2016年3月15日~
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/40241198.html
・書庫「肝属町の三岳参り」:ブログ『かもつきのあひら』~2016年7月19日~
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/40475293.html
・書庫「日向国の万葉学」:ブログ『かもつきのあひら』~2016年11月26日~
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/40684079.html
・書庫「肝属町の三岳参り」:ブログ『かもつきのあひら』~21019年5月19日~
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/41730040.html
○万葉学者先生は、枕詞が万葉時代の和歌の修辞だと言って憚らない。しかし、日向国では、枕詞は現代でも普通に生きている。もともと、枕詞が人々の生活に根差したものであることが、万葉学者先生には、理解できない。枕詞は、私たちに、実に多くの事を教えてくれる。『かもつきのあひら』も、そういう枕詞の一つである。
○大隅国で、肝属地名が占める地位は揺ぎ無いものがある。大隅国の最大の山地を肝属山地と呼ぶし、大隅国最大の河川の名も、肝属川である。さらに、大隅国の中心となるところが肝属平野なのである。
○その割には、肝属地名がどういうものかについては、皆目不明と言うしかない。幾ら何でもそれは無い。せめて、自説くらい案内出来ないで、どうする。それで、当古代文化研究所で考えた結果が『かもつきのあひら』である。多分、これが正解である。
○古来、大隅国の中心を為しているものが、肝属であることは変わりない。それが肝属山地であり、肝属平野であり、肝属川だと言うことである。本当は、大隅国も肝属国である可能性が高かった。しかし、国名を付したのは、大隅国の者ではなくて、大和朝廷だった。だから、国名と国の中心部とが一致しない。
○それは薩摩国にしたところで、同じである。嘗て、薩摩国の中心が薩摩国一宮である枚聞神社であったことは、間違いあるまい。当然、開聞岳を遥拝するところに、薩摩国の中心は存在した。それは、薩摩国国府が存在した薩摩川内市ではない。
○そういう意味で、大隅国に於ける肝属地名は極めて大事な文化である。そういうものが現在、大隅国では等閑にされたままとなっている。その肝属地名を耕すことが当古代文化研究所の当面の課題である。