世界文化遺産オンライン:霊場「高野山」(こうやさん) | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

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○文化庁の世界文化遺産オンラインの、『紀伊山地の霊場と参詣道』では、紀伊山地の霊場を、
  ・霊場「吉野・大峯」(よしの・おおみね)
  ・霊場「熊野三山」(くまのさんざん)
  ・霊場「高野山」(こうやさん)
と並べているので、それにしたがって、吉野山⇒熊野三山⇒高野山と話している。

○しかし、吉野山・高野山・熊野本宮が神代三山陵の先坣僑位であることを考えると、その順序は、
  初代・彦火瓊々杵尊の御陵=可愛山陵=吉野山
  二代・彦火火出見尊の御陵=高屋山陵=高野山
  三代・彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の御陵=吾平山陵=熊野本宮
となるから、吉野山⇒高野山⇒熊野本宮の順序で、本当は、話すべきである。

○ちなみに、文化庁の世界文化遺産オンラインの、『霊場「高野山」(こうやさん)』は、次のように案内する。
      霊場「高野山」(こうやさん)
   「吉野・大峯」の西南西約30kmに位置し、空海が唐からもたらした真言密教の山岳修行道場とし
  て816年に創建した「金剛峯寺」を中心とする霊場です。「金剛峯寺」の伽藍は、真言密教の教義
  に基づき本堂と多宝塔を組み合わせた独特のもので、全国の真言宗寺院における伽藍の規範となって
  います。また、「丹生都比売神社」の祭神は、高野山一体の地主神で、空海にこの地を譲った神と伝
  えられ、「金剛峯寺」の鎮守として祀られたものです。
    <構成資産>
    丹生都比売神社(にうつひめ)、金剛峯寺(こんごうぶじ)、
    慈尊院(じそんいん)、丹生官省符神社(にうかんしょうふ)
  http://bunka.nii.ac.jp/special_content/hlinkA

○文化庁の世界文化遺産オンライン『霊場「高野山」(こうやさん)』が、まるで真言宗一色なのに、まず、驚く。高野山は空海が金剛峯寺を開山する前から、すでに霊場だったことは、ここには、一言も記されていない。何とも、迂闊な話である。

○行基(668~749)が高野山で詠ったとされる有名な和歌がある。
  山鳥のほろほろと鳴く声きけば父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ

○空海(774~835)よりも、遥か以前から、高野山は霊場として知られていた。そこに空海が金剛峯寺を開山したと言うことである。そのことを見逃してはなるまい。

○もともと高野山が高屋山であったことは、吉野山・高野山・熊野本宮が神代三山陵の先坣僑位であることから証明される。それは次のように案内される。
  初代・彦火瓊々杵尊の御陵=可愛山陵=吉野山
  二代・彦火火出見尊の御陵=高屋山陵=高野山
  三代・彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の御陵=吾平山陵=熊野本宮