陌上桑(曹操詩作) | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

 

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○高適の『薊門行五首』詩を訳すのに、相当な遠回りを強いられている。この辺りで、一応、整理しておくと、まず最初に、『艶歌行』が5作品あった。
  『漢楽府:艶歌行』

  『艷歌行(漢樂府相和歌辭)』

  『曹植:艷歌行』

  『陸機:艷歌行』

  『劉義恭:艷歌行』

○次に、『出自薊北門行』が4作品続いた。

  鮑照:代出自薊北門行

  劉義恭:艷歌行

  徐陵:出自薊北門行

  庾信:出自薊北門行
  李白:出自薊北門行

○更に、『古艷歌』が3作品存在する。
  『樂府《古艷歌》(初見於《太平御覽》的詩)』

  『古艷歌(初見於《藝文類聚》的詩)』

  『古艷歌(漢樂府)』

○そして、前回案内したのが『陌上桑 (汉乐府诗)』であった。この『陌上桑』も、しばらく続けることになりそうである。今回紹介するのは、かの曹操の詩作した『陌上桑』である。

  【原文】
      陌上桑(曹操詩作)
    駕虹霓,乘赤雲,登彼九疑歷玉門。
    濟天漢,至昆侖,見西王母謁東君。
    交赤松,及羨門,受要秘道愛精神。
    食芝英,飲醴泉,柱杖桂枝佩秋蘭。
    絕人事,游渾元,若疾風游欻翩翩。
    景未移,行數千,壽如南山不忘愆。

  【書き下し文】
      陌上桑(曹操詩作)
    虹霓に駕し、赤雲に乘り、彼の九疑に登り、玉門を歷ぐ。
    天漢を濟り、昆侖に至り、西王母を見、東君に謁す。
    赤松と交はり、羨門に及び、要秘道を受け、精神を愛す。
    芝英を食し、醴泉を飲み、杖桂枝を柱とし、秋蘭を佩ぶ。
    人事を絶ち、渾元に游び、疾風の游ぶが若く、翩翩と欻く。
    景の未だ移らざるに、行くこと數千、壽は南山の如く、愆を忘れず。

  【我が儘勝手な私訳】
    虹に跨り、赤雲に乗って、舜の眠る蒼梧山へ登り、西域の玉門関を過る。
    銀河を渡り、昆侖山まで出掛け、西王母と東王公に謁見する。
    赤松子と交際し、羨門高に会い、成仙と養生の道を教わり、精華や靈氣を身に付く。
    靈芝を食し、甘泉水を飲み、一枝で桂枝の家に住み、香草の秋蘭を身に付けている。
    世俗を去り、大自然の中に生き、爽やかな風のように、軽やかに吹く。
    一日のうちに数千里も行き、寿命は長久で、それでいて過錯を忘れない。

○中国でも日本でも、曹操は誰でも知っている。超有名人である。2017年3月に、老子故里である河南省周口市鹿邑县太清宫镇の太清宫へ参詣した。その道途で、安徽省亳州市を訪れた。亳州市は嘗ての沛国譙県で、曹操の故郷でもある。その際、曹操について、案内している。
  ・テーマ「老子故里」:ブログ『曹操』
  https://ameblo.jp/sisiza1949-2/entry-12519952873.html?frm=theme

○その曹操がこれ程の文人であることは、知識として知ってはいるけれども、なかなか認知されていない気がする。実際、こうやって訳してみると、曹操の文人としての力量が並大抵では無いことが判る。中国では曹操は三曹の一人としてちゃんと評価されているけれども、日本では、曹操は敵役の代表でしかない。