釋道生:偈頌二十二首其一 | 古代文化研究所

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○立春詩の案内を続けている。今回案内するのは、今までの詩や詞とちょっと違って、釋道生の『偈頌二十二首其一』である。

  【原文】
      偈頌二十二首其一
        釋道生
    始見臘月初、
    立春又四日。
    白日走波波、
    肚裡黑似漆。
    擂鼓上堂來、
    一字説不出。

  【書き下し文】
      偈頌二十二首其一
        釋道生
    始めて見るは、臘月の初め、
    立春の又四日。
    白日は波波と走り、
    肚裡の黑は漆に似たり。
    鼓を擂ちに、上堂に來て、
    一字の説も出でず。

  【我が儘勝手な私訳】
      偈頌二十二首其一
        釋道生
    修行を始めたのは、釈尊が大悟した十二月初めであった、
    現在は、立春の十四日だから、一月以上も修行を続けている。
    外界は白日の下、何処までも明るいけれども、
    内面の闇は、漆黒そのものである。
    太鼓を打つために、鼓楼まで上がって来たが、
    釈尊と違って、何一つ、悟ることもない。

〇釋道生は南北朝時代の僧である。日本のウィキペディアフリー百科事典が案内する釋道生は、次の通り。
      道生
   道生(どうしょう、355年 - 434年)は、中国の南北朝時代に活躍した僧である。姓は魏氏。鉅鹿
  (きょろく、河北省巨鹿県)の出身。竺道生(じくどうしょう)とも呼ばれる。
   幼少時から竺法汰(じくほうた)に随い出家し、15歳で講座に登る。したがって、彼に「竺」の姓
  をつけて竺道生ともいうのは、ここに由来する。
   当初、東晋の隆安年中(397-401年)に江南の廬山に居た慧遠に師事した。
  https://ja.wikipedia.org/wiki/道生

〇中国の検索エンジン百度の『百度百科』が案内する釋道生は、次の通り。
      道生
   道生(355-434) 晋宋间高僧。俗姓魏,钜鹿(今河北省平乡)人,侨居彭城(今江苏徐州)。家庭
  世代为士族,父亲为广戚(今江苏沛县东北)令。幼随竺法汰出家,改姓竺,十五岁便登讲座,二十

  岁受僧侣的最高戒律“具足戒”。公元397年道庐山相慧远求学,公元404年问学于鸠摩罗什和佛驮

  跋陀罗。以慧解著称,将道家道物的观念,转移而成为佛性的探讨,以为众生皆有佛性,主张顿悟;

  并由庄子“等成败”“一是非”等齐物思想,而倡《善不受报论》。
  https://baike.baidu.com/item/道生/2233799?fr=aladdin