于謙:立春 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○立春詩の案内を続けている。今回案内するのは、于謙の『立春』詩である。実は、前に于謙の『立春日感懷』詩を案内している。
  ・テーマ「寒食・清明・立春」:ブログ『于謙:立春日感懷』
  https://ameblo.jp/sisiza1949/entry-12519979114.html?frm=theme

○于謙の『立春』詩は、次の通り。
  【原文】
      立春
        于謙
    擊罷泥牛物候新
    一鞭分與萬家春
    未萌草木先回潤
    久屈龍蛇漸覺伸
    對景謾傾銀瓮酒
    看花遙想玉京人
    東郊明日迎陽去
    蹀躞驊騮踏軟塵

  【書き下し文】
      立春
        于謙
    泥牛を擊つのを罷れば、物の候は新たなる、
    一鞭して分かち與ふ、萬家の春。
    未だ草木は萌えざるに、先に回り潤ふ、
    久しく龍蛇の屈すれば、漸く覺伸す。
    景に對して謾り傾く、銀瓮の酒、
    花を看て遙かに想ふ、玉京の人。
    東郊に明日、陽を迎へ去れば、
    驊騮の蹀躞して、軟塵を踏む。

  【我が儘勝手な私訳】

    土牛を引いて立春を迎えると、萬物は新しいものに変容し、

    土牛を叩いて、皆で分かち与える立春のお祝いである。

    春とは言っても、まだまだ草木は芽吹いていなのに、先に春を祝い、

    長い時間、龍や蛇は冬眠していたのが、ようやく目を覚まそうとする。

    立春の日には、当然、祝いの酒を存分に飲み尽くし、

    春の花を眺めると、自然と都へ行った「あの人を思い出すことである。

    春の郊外に、朝早く日の出を拝みに出掛けると、

    そこには何と伝説の動物である驊騮が居て、蹀躞帯をして、軽やかに飛び遊んでいた。

 

○于謙の『立春日感懷』詩もそうだったが、于謙の『立春』詩も、極めて華やかなのが良い。春はさもありなんと見せてくれる風景が実に良い。泥牛で始めて、驊騮で収める手法は、何とも見事と言うしかない。

○もっとも、日本人の私は驊騮どころか、泥牛すら、見たことが無い。何時の日か、中国の立春日を、是非とも、目にしてみたいものである。