歌枕とは何か | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

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○歌枕とは何か。あまりに大きな命題であるから、そんなに簡単に語れるものでもない。これまで、そういうことを何回か考えて来た。まだ十分に熟しているものではないけれども、この辺りで一回整理しておきたい。

○普通には、歌枕はどのように考えられているのだろうか。そういう意味では、ウィキペディアフリー百科事典の定義は、参考になる。

      歌枕
   歌枕(うたまくら)とは、古くは和歌において使われた言葉や詠まれた題材、またはそれらを集め
  て記した書籍のことを意味したが、現在はもっぱらそれらの中の、和歌の題材とされた日本の名所旧
  跡のことをさしていう。
  【解説】
   和歌は古くは、漢語や当時の日常会話で使われる表現、また俗語の類などを出来るだけ避けるよう
  にして詠まれていた。その姿勢はすでに奈良時代の『歌経標式』において「直語を以って句を成す、
  都(すべ)て古事に無し」とあり、「直語」というのは当時の日常会話に近い表現という意味で、和
  歌においてそのような表現は古くから用いられないものだということである。そうして和歌の表現が
  洗練されてゆくうちに、和歌を詠むのにふさわしいとされる言葉が次第に定まっていった。それらの
  言葉が歌枕であり、その中には「あふさかやま」(逢坂山)や「ふじのやま」(富士山)、「しほが
  ま」(塩竈)などといった地名も含まれる。歌枕の「枕」とは、常に扱われる物事また座右に備える
  ものといった意味だとされ、『枕草子』の題名の「枕」もこれに関わりがあるといわれるが、その枕
  というのが寝具の枕に拠るのか、または違うものからその語源がきているのかは不明である。
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%8C%E6%9E%95

○言うまでもなく、和歌は日本固有の文化である。もともと和歌は生活に密着したものであった。教養として、日本人なら普段の生活の中で誰でも和歌を詠む習いが存在した。和歌の上手い下手はともかく、その場に応じて詠歌することが大事だったわけである。

○そういう意味では、和歌は畏まった紋切り型の挨拶だと思えば良い。何時でも誰でも詠むわけであるから、難しいものであっては困る。したがって、定型が生まれる。その定型の形を少し変えて詠めば、それはもう新しいその人の和歌として評価されたわけである。

○歌枕や枕詞、歌物語は、そういう意味で共通する舞台に立つと言えよう。和歌に使用される特別の言葉が歌枕であり、和歌の冒頭を飾る修辞が枕詞であり、和歌を中心に据えた物語が歌物語であった。日本ではそういう時代が長く続いた。そういう時間の中で、歌枕・枕詞・歌物語などが熟成されて行ったわけである。

●そういう歌枕の中で、和歌の題材とされた日本の名所旧跡だけが歌枕として残った。それだけ和歌では名跡旧跡が詠まれたと言うことだろう。

●そういう歌枕と併せて考えるべきは部立てであろう。たとえば、「万葉集」の部立ては『相聞(そうもん)・挽歌(ばんか)・雑歌(ぞうか)』となっている。それに対し、「古今和歌集」では、『春(上下)・夏・秋(上下)・冬・賀・離別・羇旅・物名・恋(一~五)・哀傷・雑(上下)・雑体・大歌所御歌』の部立てで、各一巻で、全二十巻となっている。以降の勅撰和歌集の部立ては「古今和歌集」に倣っている。

●こういうふうに考えると、日本の和歌が、何時、何処で詠まれたかが判る。「万葉集」は『相聞・挽歌・雑歌』と部立ては三つで極めて判り易い。「古今和歌集」にしたところで、全二十巻のうち、四季歌が六巻で、恋歌が五巻あって、残りが九巻がその他と考えれば判り易い。

●判るように、日本の和歌は「万葉集」では『相聞・挽歌・雑歌』が詠われ、「古今和歌集」以降では『四季歌・恋歌・その他』が詠われたと言うことになる。部立てを見る限り、そういうことになる。

●歌枕の中で、和歌の題材とされた日本の名所旧跡だけが歌枕として残ったことにも、当然、理由がある。つまり、日本の和歌でとりわけ大事なのは、季節と恋と名所旧跡だと言うことになる。

◎ただ、『和歌の題材とされた日本の名所旧跡だけが歌枕として残った』と言う考え方だけでは収まらない部分がある。『名所旧跡』と言うけれども、それらは単なる『名所旧跡』では無かったように思われてならない。本来、その『名所旧跡』も特定の場所を指したのではないか。

◎古代に於いて、何処が『名所旧跡』となり得たか。本当は、そこまで考える必要がある。もともと歌枕はそういうところを指す言葉であったと思われる。

◎そこが何処であるかが問題となる。そういう意味では、吉野山はそういう条件にピッタリ当て嵌まる。つまり、もっとも歌枕らしい場所が吉野山なのである。そういうものから、歌枕が形成されて行ったものと思われる。

◎それは和歌がもともと特別な人やものへ贈られる言葉であったからに他ならない。普通に発言したのでは和歌とは呼ばないし呼べない。そういう特別の言葉が和歌であった。だから、もともと和歌は普通の言葉では無いのである。

◎それなら、何が特別なのかと言うと、日常の会話では使用しない言葉を使うし、韻を踏んだり、五言とか七言に限定したりして表現するのが和歌であった。もともとそういうもの全てが歌枕だったに違いない。