歌枕
歌枕(うたまくら)とは、古くは和歌において使われた言葉や詠まれた題材、またはそれらを集め
て記した書籍のことを意味したが、現在はもっぱらそれらの中の、和歌の題材とされた日本の名所旧
跡のことをさしていう。
【解説】
和歌は古くは、漢語や当時の日常会話で使われる表現、また俗語の類などを出来るだけ避けるよう
にして詠まれていた。その姿勢はすでに奈良時代の『歌経標式』において「直語を以って句を成す、
都(すべ)て古事に無し」とあり、「直語」というのは当時の日常会話に近い表現という意味で、和
歌においてそのような表現は古くから用いられないものだということである。そうして和歌の表現が
洗練されてゆくうちに、和歌を詠むのにふさわしいとされる言葉が次第に定まっていった。それらの
言葉が歌枕であり、その中には「あふさかやま」(逢坂山)や「ふじのやま」(富士山)、「しほが
ま」(塩竈)などといった地名も含まれる。歌枕の「枕」とは、常に扱われる物事また座右に備える
ものといった意味だとされ、『枕草子』の題名の「枕」もこれに関わりがあるといわれるが、その枕
というのが寝具の枕に拠るのか、または違うものからその語源がきているのかは不明である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%8C%E6%9E%95
○吉野山は、もちろん、歌枕中の歌枕だと言うしかない。ウィキペディアフリー百科事典が案内する吉野山を再度確認すると、次のようにある。
吉野山
吉野山(よしのやま)は奈良県の中央部・吉野郡吉野町にある吉野川(紀の川)南岸から大峰山脈
へと南北に続く約8キロメートルに及ぶ尾根続きの山稜の総称、または金峯山寺を中心とした社寺が
点在する地域の広域地名である。
古くから花の名所として知られており、その中でも特に桜は有名で、かつては豊臣秀吉が花見に来
た事がある(後述)。現代でも桜が咲く季節になると花見の観光客で賑わう。地域ごとに下千本(し
もせんぼん)、中千本(なかせんぼん)、上千本(かみせんぼん)、奥千本(おくせんぼん)と呼ば
れている。
1924年(大正13年)12月には国の名勝・史跡に指定され、1936年(昭和11年)2月 には吉野熊野国
立公園に指定された。また2004年(平成16年)7月には吉野山・高野山から熊野にかけての霊場と参
詣道が『紀伊山地の霊場と参詣道』としてユネスコの世界遺産に登録された。1990年(平成2年)に
は日本さくら名所100選に選定された。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E9%87%8E%E5%B1%B1
○このウィキペディアフリー百科事典が案内する吉野山の定義は不十分そのものと言うしかない。そのことについては以前書いているので、そちらを参照されたい。
・書庫「日向国の万葉学」:ブログ『吉野山とは何か』
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/40578962.html
○ブログ『吉野山とは何か』の最後に、次のように書いている。
◎その吉野山は歌枕である。日本で吉野山ほど歌枕らしい歌枕は無い。そういう吉野山を描いてい
るのも「万葉集」である。次回から、そういう話を書いてみたい。
○歌枕としての吉野山の成立は古い。すでに「万葉集」の時代に吉野山は完全に歌枕の様相をみせている。ただ、吉野山の凄いところは、「万葉集」以降もその歌枕としての評価が落ちないところにある。次回は、そういう話をしたい。