滕王閣 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

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○南昌に着いてから、いろいろあったが、何とか滕王閣に到着したのは、午後3時頃であった。南昌では、滕王閣の他に、佑民寺と縄金塔だけは見ておきたかったので、急いで集票処へ向かい、50元のチケットを購入して中へ入った。

○入場したのは東門からで、目の前に東園の庭園があって、その先が広場となっていて、その奥に堂々とした滕王閣が聳え立っている。滕王閣が存在するのは、平地で、周囲に遮るものが何も無いので、岳陽楼や黄鶴楼とは、まるで違う印象があった。

○日本のウィキペディアフリー百科事典にも、簡単ながら、滕王閣項目が存在する。

      滕王閣
   滕王閣(とうおうかく)は、中華人民共和国・江西省の南昌にある楼閣。岳陽の岳陽楼、武漢の黄
  鶴楼と並んで、江南の三大名楼とされる。
  【歴史】
   唐代の653年(永徽四年)、当時この地に封じられた李元嬰(唐の建国者・李淵の第22子)の道楽
  によって建てられた。彼は最初は滕県(現在の山東省滕州市)に封じられていたため滕王と呼ばれて
  おり、ここから滕王閣と呼ばれる。幾度も戦乱などにより破壊された。清の同治年間に28回目の再建
  が行われたが1929年に軍閥同士の戦争で破壊され再建されていなかった。現在のものは1989年に再建
  されたもので29回目の再建に当たる。
   贛江のほとりに建てられており、楼閣から街を見下ろすことができる。
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BB%95%E7%8E%8B%E9%96%A3

○何とも簡単な案内で、それは岳陽楼や黄鶴楼の案内とは随分違う。岳陽楼や黄鶴楼と違って、それだけ、滕王閣の知名度が低いからなのだろう。2014年6月18日の午前中に岳陽楼を訪れ、午後に黄鶴楼を見学し、19日午後に、実際、滕王閣に登楼した者の目には、滕王閣が最も大きく豪華であるように感じられた。

○中国での評価は、まるで違う。中国の検索エンジン百度の百度百科が載せる廬山項目は、次の通り。

      滕王阁(江南三大名楼之首)
   滕王阁,江南三大名楼之一,南方现存唯一一座皇家建筑。[1] 位于江西省南昌市西北部沿江路赣江
  东岸,始建于唐朝永徽四年,因唐太宗李世民之弟——李元婴始建而得名,因初唐诗人王勃诗句“落霞与
  孤鹜齐飞,秋水共长天一色”而流芳后世。始建于唐朝永徽四年,它与湖北武汉黄鹤楼、湖南岳阳楼并
  称为“江南三大名楼”。历史上的滕王阁先后共重建达29次之多,屡毁屡建。[2]
   现在的滕王阁主阁落成于1989年10月8日,是1985年按照梁思成绘制的《重建滕王阁计划草图》重建的,
  是江西省南昌市的标志性建筑之一。共九层,濒邻赣江,面对西山,视野开阔,距唐代阁址仅百余米,
  主体建筑为宋式仿木结构,突出背城临江,瑰玮奇特的气势。2001年元月核准为首批国家4A级旅游景区。
  【历史起源】
   滕王阁是中国江南三大名楼之首[1] ,与黄鹤楼、岳阳楼并称为"江南三大名楼"[2] ,始建于唐永徽
  四年(公元653年),为唐高祖李渊之子李元婴任洪州都督时所创建,为南方现存唯一一座皇家建筑。
   李元婴出生于帝王之家,受到宫廷生活熏陶。“工书画,妙音律,喜蝴蝶,选芳渚游,乘青雀舸,极
  亭榭歌舞之盛。”(明陈文烛《重修滕王阁记》)据史书记载,永徽三年(公元652年),因李元婴在
  贞观年间曾被封于山东省滕州故为滕王,且于滕州筑一阁楼名以“滕王阁”,后滕王李元婴调任江南洪
  州,又筑豪阁仍冠名“滕王阁”,此阁便是后来人所熟知的滕王阁。
   素有“西江第一楼”之誉的滕王阁,因“初唐四杰”之首的王勃一篇雄文——《秋日登洪府滕王阁饯别
  序》,简称《滕王阁序》而得以名贯古今。
   滕王阁,始建于唐永徽四年(653年),为唐高祖李渊之子李元婴任洪州都督时所创建。李元婴出生
  于帝王之家,受到宫廷生活熏陶,“工书画,妙音律,喜蝴蝶,选芳渚游,乘青雀舸,极亭榭歌舞之
  盛。”(明陈文烛《重修滕王阁记》)据史书记载,永徽三年(652年)因李元婴在贞观年间曾被封为
  滕王,故阁以“滕王”一名冠之。
  http://baike.baidu.com/subview/21276/10504605.htm?fr=aladdin

○百度百科の膝王閣項目には、堂々『滕王阁是中国江南三大名楼之首』と掲載しているし、その記述も江南三大名楼の中で、最も詳細なものとなっている。中国江南三大名楼のうち、膝王閣は、江西省省会の南昌に存在し、黄鶴楼が湖北省武漢武昌に建ち、岳陽楼は、湖南省岳陽城の西門で、洞庭湖畔に建っている。中国江南三大名楼には、それぞれの歴史があり、文化が存在する。ある意味、長江中流域である湖南省・湖北省・江西省の歴史文化の象徴が中国江南三大名楼と言えるのではないか。

○ただ、岳陽楼が洞庭湖に面し、湖南省を南北に貫く湘水の出口に存在し、黄鶴楼が長江に面し、対岸には湖北省を南北に貫く漢江の出口となっているのに対し、膝王閣が建つ南昌は、鄱陽湖の奥に存在する。そういう意味では、目立たない存在となっている。

○しかし、湖南省省会の長沙とは、直線距離でおよそ300劼曚匹如極めて近い。つまり、南岳衡山とも、それだけ近いわけである。長沙と南昌を訪れてみると判るのだが、その風土も極めて似通っているように感じた。

○中国江南三大名楼は、歴史的には、岳陽楼が最も古い文化を保持し、それに黄鶴楼が続き、膝王閣が最も新しい気がする。新しいと言っても、唐代である。

○2014年6月19日、午後3時頃、東門から眺めた膝王閣は、兎に角、立派で豪華だと感じた。惜しいことに午後であったから、東門からは逆光だった。ゆっくり歩いて広場を横切り、膝王閣へと歩いて行った。