孟郊:遊子吟 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

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○前回、孟郊の「送蕭煉師入四明山」詩を紹介した。孟郊の「送蕭煉師入四明山」詩は、まるで雪竇寺のキャッチコピーである。雪竇寺の実際の様子を実によく伝えているのに感心した。

○その孟郊の代表的作品として、中国の検索エンジン百度『百度百科』は、
  代表作品:《征妇怨》、《感怀》、《伤春》、《游子吟》、《结爱》
と紹介している。しかし、孟郊の代表的作品と言えば、多くの方が「游子吟」を挙げられる。

○その「游子吟」の日本語訳がインターネット上にも数多く見られる。もちろん苦労して訳されたものばかりであるけれども、どうも自分にはしっくり来ない。孟郊らしさが上手く表現されていない気がしてならない。それで何時も通り、我が儘勝手な私訳を案内しておきたい。

  【原文】
      遊子吟
       孟郊
    慈母手中線
    遊子身上衣
    臨行密密縫
    意恐遅遅帰
    誰言寸草心
    報得三春暉

  【書き下し文】
    慈母は、線を手中にし、
    遊子は、上衣を身にする。
    行くに臨んで、密密と縫ひ、
    意は恐る、帰ることの遅遅たるを。
    誰か言はん、寸草の心、
    報得せん、三春の暉を。

  【我が儘勝手な私訳】
    慈愛の母は、縫い針と糸とを手にして、
    これから旅立たんとする息子が身に付ける上着を縫っている。
    息子が旅立つに臨んで、慈愛の母は丁寧に心を込めて縫っているように見えるけれども、
    慈愛の母の心中には、我が息子が旅から出来るだけ早く無事に帰ってくることしかない。
    誰も知ろうとはしない、道端に生えているちょっとした草の願いを、
    つまらない草だって、何とかして報いたいと願っているのだ、孟春仲春季春の陽光の僥倖に。

○孟郊「遊子吟」詩は、直接、雪竇山とは関係の無い作品である。ただ、孟郊の「遊子吟」詩がまるで原詩の雰囲気を伝えない訳で案内されているのを見ると、このまま放置しておくことも出来ない。孟郊の「遊子吟」詩は名詩である。そういう名詩が中途半端に訳してあるのを見るのは辛い。

○前回、孟郊の紹介に、
  (孟郊)詩は困窮・怨恨・憂愁を主題としたものが多く、表現は奇異。韓愈とならんで「韓孟」と
  称せられる。蘇軾は賈島とならべて「郊寒島痩」、つまり孟郊は殺風景で賈島は貧弱と評す。
とあったが、その孟郊らしさである『表現は奇異』とか、『孟郊は殺風景』を明確に訳してあるものがほとんど見られない。

○孟郊が、「遊子吟」詩で表現しようとするのは、故郷を後にする詩人の正直な『苦い心』である。慈母の恩愛を語る作品は多いが、こういう詩人の『苦い心』を吐露する詩人は居ない。