張学良第一幽禁地 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

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○寧波在住の通訳・ガイドの李さんに伴われて、雪竇山雪竇資聖禅寺へ参詣した後、雪竇寺のすぐ上にある「張学良第一幽禁地」へと向かった。

○その時、歴史に疎い私には、張学良なる人物がどういう人であるか、皆目判らなかった。中国の検索エンジン百度『百度百科』が案内する張学良は、次の通り。

      张学良(国民革命军将领)
   张学良,字汉卿,号毅庵,乳名双喜、小六子。汉族,籍贯辽宁省盘锦市大洼县东风镇[1],生于辽
  宁省鞍山市台安县桓洞镇鄂家村张家窝堡屯(旧称桑子林詹家窝铺),奉系军阀首领张作霖的长子。
   他是中国近代著名的爱国将领、政治家、军事家,先于奉系军中担任要职,“皇姑屯事件”之后,他
  继任为东北保安军总司令,拒绝日本人的拉拢,坚持“东北易帜”,为祖国统一和民族团结做出了贡献。
  后任中华民国陆海空军副总司令,陆军一级上将。
   张学良积极主张抗日,反对内战,曾同杨虎城将军一起发动震惊中外的“西安事变”,促成国共二次
  合作,结成抗日民族统一战线。另外,他风流倜傥,是民国四大美男子之一,人称“少帅”,他和赵四
  小姐的爱情也成为一段佳话。
  http://baike.baidu.com/subview/4095/4998270.htm?fr=aladdin

○日本の「ウィキペディアフリー百科事典」には、次のように載せる。

      張学良
   張 学良(ちょう がくりょう)(1901年6月3日 - 2001年10月14日)は、中華民国の軍人・政治家。
  張作霖の長男。字は漢卿。
  【評価】
  (中華人民共和国)
   中華人民共和国内では、張学良は「第二次国共合作」の立役者であり、抗日統一戦線結成のきっか
  けを作った事から、非常に高く評価されており、「千古の功臣」「民族の英雄」と呼ばれ、張学良氏
  を主人公とする映画が作られたりもしている[6]。
   共産党からすれば、西安事変によって国共両勢力が統一し、日本軍と戦ったが、むしろ蒋介石に追
  い詰められていた窮境から脱出できたことが大きく[4]、張学良は逆境にあった中国共産党の救い主
  という面も指摘されている[4]。
   2001年の張学良の死去の際に中国の江沢民国家主席は、遺族への弔電で張学良を「偉大な愛国者」
  「中華民族の永遠の功臣」であるとし、「65年前の民族滅亡の危機に際して、楊虎城将軍と共に愛国
  精神、抗日と民族滅亡阻止の大義を掲げ、西安事変を発動し旧日本軍に対して中国共産党との共同抗
  戦を訴えた。更に10年にわたる内戦を終結させ、第2次国共合作を促し、全民族の抗戦に歴史的貢献
  をした」と記した[4]。
  (中華民国・台湾での評価)
   中華民国内では、張学良は満州事変後も庇護した国民党に対して国共合作を認めさせるために蒋介
  石を脅迫して反共戦を頓挫させるとともに、国民党が取った対日戦略(「安内攘外」)を破綻させ、十
  分な対抗力がないまま日本軍と正面衝突したために計り知れない犠牲を強いられたと西安事件をみな
  す見解も強い[4]。父張作霖の七光りで将軍になったものの美女狩りや麻薬吸引に余念のない放蕩息
  子にすぎないとの評価もある[4]。張学良の東北軍は、ソ連軍に敗北、五個師団が壊滅、陝北での剿
  共戦では直羅鎮・楡林の戦闘で紅軍に敗北、二個師団が壊滅しており、張が多くの戦闘で負け続けた
  ことも指摘されており、そのため、1936年の西安事件だけが歴史的に張が脚光をあびた唯一の瞬間で
  あったともとらえる向きもある[4]。シカゴ大学歴史学博士許倬念も「中国の抗日開始は早すぎた。
  もしもう五年遅ければ状況はまったくことなっていたはずだ」と述べている。
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E5%AD%A6%E8%89%AF

○張学良は張作霖の長男で、中華民国の軍人・政治家と言うのが「ウィキペディアフリー百科事典」の案内である。その評価が、中華人民共和国と中華民国・台湾とではまるで違う。

○ただ、張学良が1937年以降、監禁され続けた生涯を送ったことは間違いない。その監禁状態は中華民国が中国本土を失った後も続き、解放されたのは1980年後半である。1991年にハワイ移住。2001年に百歳で死亡。

○何とも凄まじい生涯であることに驚く。その張学良が最初に幽閉されたのが雪竇山雪竇寺の隣にあった原中旅社である。1937年1月から9月まで、張学良はここに滞在したと言う。

○張学良の政敵、蒋介石が奉化県(現奉化市)渓口鎮の出身であることは、興味深い。蒋介石は自分の故郷の聖地とも言うべき雪竇山に、わざわざ張学良を幽閉している。

○あのような混乱の時代にあっても、蒋介石は結局、張学良を処刑することなく、幽閉し続けている。それも大陸を脱出する困難な時期にも張学良を処刑せず、台湾にまで同道している。蒋介石と張学良との関係は、単なる政敵だけでは無いような気がする。

○張学良の人生は37年間で、後は余生だったのかも知れない。それにしては63年の余生は何とも長過ぎる余生である。