長沙・平和堂百貨店(五一広場店) | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

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○中国に出掛ける前、長沙についてあれこれ調べている中、5月の朝日新聞コラムに、特派員メモなるものを見付けた。

      【特派員メモ】
      ◆長沙(中国)
      デモ半年後の覚悟
   「歓迎光臨、早上好(いらっしゃいませ、おはようございます)」。中国湖南省長沙市に4月末開
  業した日系デパート「平和堂」の新店舗。客を迎える店員の決まり文句に、「早上好」とお辞儀が加
  わっている点が、日本風だ。
   中国に吹き荒れた反日デモで平和堂の別の店舗が襲われたのは、ほんの半年前。破壊された店の前
  で笑う若者たちを撮った同僚の写真が、今も目に焼き付いている。
   新店の買い物客にデモのことを尋ねると、「一部の人がやっただけ」と口をそろえた。けれど、
  「一部の人」がまた暴れれば、店は壊され巨額の被害が出る。現場を訪れた夏原平和社長は「撤退も
  頭をよぎった」と打ち明けた。
   押し返したのは、現地スタッフの熱意だった。「逃げ場なんてない。前を向いてやるしかない」と、
  中国法人の寿谷正潔社長。「ここで働いていることは、皆の誇りなんだ」。中国人店員も言う。
   日中の間で働くことに人生を捧げた人々には、今の事態は、避けるかどうか判断できる「リスク」
  ではない。いやおうなしの現実だ。両国の経済を報じる身として、肝に銘じたい。  (斎藤徳彦)

○長沙市街を東西に走るメインストリートが五一大道である。東端は長沙火車駅に至り、西端は湘江へ達する。五一大道のど真ん中、長沙市で、最も賑やかなところに存在するのが平和堂百貨店(五一広場店)である。ここがデモ隊に襲われ、破壊された現場である。

○馬王堆漢墓から、次の観光地である杜甫江閣へ向かう途中、案内人の岳さんの車で、五一大道を走った。事前に、平和堂百貨店(五一広場店)を見たい旨を伝えていた。五一大道を走っている最中、岳さんが「あそこが平和堂ですよ。立ち寄りますか。」とおっしゃる。時間があればゆっくり見たかったのだが、今日はこれから汨羅観光をして、岳陽まで行く予定である。とてもそんな余裕はない。車の中から平和堂百貨店(五一広場店)の写真だけを撮った。

○私たち日本人に、長砂はほとんど知られていない町である。しかし、長沙の人々にとって、日本は忘れることのできない国である。日中戦争の際、長砂は戦場となり、多くの犠牲者が出ている。1923年(大正12年)に既に長沙事件が起きているし、その後、1945年までの長い間、長沙は日本軍に悩まされ続けることとなる。

○長沙の平和堂事件にしたところで、背景には、そういう長沙の人々の怨念があるように思われてならない。決して事件そのものを擁護しようとするわけではない。しかし、長沙平和堂事件を偶発的なものとして捉えることはできない。

○そういう不幸な歴史を私たちは決して忘れてはなるまい。そういう苦難の歴史を乗り越えて、初めて真の日中友好は生まれる。朝日新聞の記事も、本当は、そういう背景を伝える義務があるのではないか。

○そのためにも、私たちはもっと長沙について知る必要を感じる。私が長沙を訪れるのは初めてだったが、これまで大勢の日本人がこの地を訪れている。そういう日本人の功罪が、そのまま私たちに降り掛かるのは、当然のことである。

○今回、長沙を訪問するに際し、日本人に厳しい目が向けられるのではないかと心配した。しかし、それはまるで杞憂であった。岳さんを始め、多くの長沙の方は、たいへん日本人に親切であった。そういう長沙の人々の寛容さに感謝したい。