馬王堆漢墓 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

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○馬王堆漢墓の発掘は1972年のことだと言う。日本では昭和47年になる。当時、全世界的な発見として、大いに世間を賑わした記憶がある。

○長沙を訪れるのであるから、何と言っても、この馬王堆漢墓だけは見たかった。ところが、長沙で、タクシーはまるで馬王堆漢墓へ行こうとしない。実はその理由が今でもよく判らない。

○これまでの私個人の中国経験では、中国のタクシーは行き先が不明な所へは、まず行かない。それに、そこが現在閉まっていたりしたら、絶対に行かない。日本のタクシーなら自己責任だから、指定された場所へ何処へでも行くが、中国のタクシーは、そこは行っても何も無いことをはっきり教えてくれる。と言うか、行こうとしない。親切と言えば、親切なのだが、どうしてもそこに用事のある人にとっては迷惑極まりない。これまでそういう経験を何度かしている。

○結局、湖南省博物館前の売店の伯母さんのお陰で、何とか案内人を見付けることができ、ようやく馬王堆漢墓へ向かうこととなった。湖南省博物館から馬王堆漢墓までは4、5劼曚匹竜?イ任△襦

○長沙の案内人のお名前は、岳さんとおっしゃる。おっとりとした品の良い紳士で、これまで日本人を何度も案内なさったそうである。商売気がまるで感じられない。話を伺うと、岳氏第37代だとおっしゃる。最初から最後まで、親切そのもので、良い案内人に恵まれたことを感謝した。

○岳さんの車で、馬王堆漢墓に到着したのは、11時頃であった。本当に、工事中らしく、観光している人もまばらであった。岳さんは馬王堆漢墓にも詳しいようで、たくさん案内していただいた。

○何しろ、なかなか到着できなかった馬王堆漢墓である。それで馬王堆漢墓を目の前にして感動した。馬王堆漢墓のあるところは小高い丘であった。丘の上に、墓坑に大きな上屋を被せた状態で3号墳がそのまま展示されていた。ちょっとした体育館並みの大きさである。それに底が途轍もなく深い。墓のスケールの大きさに驚かされた。

○見学するところの脇にパネルで馬王堆漢墓の様子や出土物の写真が展示されていた。実物は湖南省博物館にあるはずである。今回は残念ながら見ることができなかった。

○3号墳の展示館から手前の山道を進むと小高い丘の山頂に達する。そこが1号墳で、その先の山頂が2号墳らしい。その間、左手に3号墳の展示館が見える。案内人の岳さんが書いて親切に説明して下さった。

○日本のウィキペディアフリー百科事典には、意外に詳しく馬王堆漢墓について書かれている。

      馬王堆漢墓
   馬王堆漢墓(まおうたいかんぼ)は、湖南省長沙にある紀元前2世紀の墳墓。利蒼とその妻子を葬
  る。1972年の発掘時、利蒼の妻の遺体が未だ生けるが如き状態だったことで知られる。また副葬品に
  も貴重な工芸品や帛書が含まれ、中国古代史研究にとって多くの重要な資料を提供した。
  【墳墓】
   墳墓は東西にほぼ同じ大きさで並んだ2つの墳丘からなり、東側が1号墓、西側が2号墓、そして1号
  墓の封土(盛り土)に覆われる形でその南側に3号墓があった。東西の丘はそれぞれ高さ15-16メート
  ル、底部の直径40-60メートル、頂部の間隔は約40メートルであり、1号墓の場合、頂部は直径30メー
  トルの平坦面になっていた。1号墓は、後に発掘される2号墓・3号墓の封土を部分的に破壊していた
  ため、それらの後に造営されたと考えられる。
   3基の墓はいずれも墳丘、北側についた斜坡式の墓道、やや南北に長い長方形をした竪穴式の墓坑
  (墓壙)、その底部に木板で構築された槨室(墓室)からなる。
   ここは元々、高さ4-5メートルの自然丘陵であり、墓を造営するときにまずその丘で墓坑の下半分
  が7-8メートルほど垂直に掘り下げられ、次いで1層ずつ版築しながら墓坑の上半分および墓道が築か
  れた。
   墓坑の構造は3墓とも基本的に同一であり、まず墓口(最上部)部分が四辺とも階段状(1号墓は4
  段、2号墓と3号墓は3段)に作られ、その先は墓底まで次第に狭くなるよう桶状に作られた。墓口と
  墓底のサイズ、深さはそれぞれ以下のとおりである。(単位:メートル)
詳しくは、以下を参照されたい。
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%AC%E7%8E%8B%E5%A0%86%E6%BC%A2%E5%A2%93

○中国の検索エンジン百度の百度百科が案内する馬王堆漢墓は、次の通り。

      马王堆汉墓[mǎ wáng duī hàn mù]
  【百科名片】
   马王堆位于长沙市东郊浏阳河西岸、长浏公路北侧,距市中心约4公里,属长沙市芙蓉区马王堆乡
  (原属东屯渡乡)。原为河湾平地中隆起的一个大土堆,根据马王堆2号墓中发现“长沙丞相”、“轪
  侯之印”和“利仓”3颗印章,参考文献记载确定该墓墓主即为第一代软侯利仓,而1, 3号墓分别为利
  仓的妻、子之墓。可见,马王堆并非“马王”之堆,而是西汉初期长沙国丞相、轪侯利仓及其家属的墓
  地。堆上东西又各突起土冢一个,其间相距20余米。两冢顶部平圆,底部相连,形似马鞍,故也有人称
  其为马鞍堆。
  【概况简介】
  [位置]
   马王堆汉墓在湖南省长沙市区东郊四千米处的浏阳河旁的马王堆乡,是西汉初期长沙国丞相、轪侯利
  苍的家族墓地,1972年至1974年先后在长沙市区东郊浏阳河旁的马王堆乡挖掘出土三座汉墓。三座汉墓
  中,二号墓的是汉初长沙丞相轪侯利苍,一号墓是利苍妻,三号墓是利苍之子。马王堆三座汉墓墓主下
  葬年代不同。二号墓墓主轪侯利苍约下葬于吕后二年(公元前186年),三号墓墓主利苍之子下葬年代
  是西汉文帝前元十二年(公元前168),一号墓墓主利苍妻下葬年代可能还要略晚一些。
   一号汉墓出土的女尸,时逾2100多年,形体完整,全身润泽,部分关节可活动,软结缔组织尚有弹性,
  几乎与新鲜尸体相似。它既不同于木乃伊,又不同于尸腊和泥炭鞣尸。是一具特殊类型的尸体,是防腐
  学上的奇迹,震惊世界,吸引不少学者、游人观光。女尸经解剖后,躯体和内脏器官均陈列在一间特殊
  设计的地下室内(汉墓陈列馆现设在湖南省博物馆院内)。三座墓中以一号墓规模最大,墓坑南北长1
  9.5米,东西宽达17.8米,深16米。一、二号墓坑已经填塞,三号墓坑经过整理加固,保存下来,并新
  建了大跨度的顶棚,供人们参观。
これも詳しくは、以下を参照されたい。
  http://baike.baidu.com/view/48966.htm

○いろいろと苦労させられたが、何とか馬王堆漢墓を見学でき、感動した。中国の墳墓のスケールの大きさにも驚く。長沙で私が最も見学したいところが馬王堆漢墓であった。