洛迦山:観音菩薩の御姿 | 古代文化研究所

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○普陀山から沖合5劼紡減澆垢詬豌犹海砲弔い董確認する意味で、中国の「百度百科」が載せる洛迦山を案内しておく。

      洛迦山
  【百科名片】
   洛迦山位于普陀山东南约5.3公里处,传为观世音菩萨发迹、修行之圣地。《华严经》载:“于此地
  方有山,名补怛洛迦,彼有菩萨,名观自在。”初唐四杰之一的王勃作《观音大士赞》云:“南海海深
  幽绝处,碧钳嵯峨连水府。号名七宝洛迦山,自在观音于彼住……”。据民国《普陀洛迦新志》记载:
  “洛迦山,海中悬岛,在普陀山东南。凡朝山礼佛者必兼谒是山。”
  【简介】
   自短姑道头东渡约半小时即到洛迦山。洛迦山面积约0.63平方公里,最高峰海拔97.1米,岸曲折,周
  围礁石嶙峋,千姿百态,如无数五色珊瑚围绕仙山,是普陀山佛教圣地一部分,传为观音菩萨修行之圣
  地。初唐四杰之一的王勃作《观音大士赞》云:“南海海深幽绝处,碧绀嵯峨连水府。号名七宝洛迦
  山,自在观音于彼住。”凡朝拜普陀山的信徒,必到洛迦山,有“不到洛迦山不算朝完普陀”之说。山
  上有圆通庵、大悲殿、大觉殿、伽蓝殿、五百罗汉塔、四十八愿塔、水晶宫等。
   远望洛迦山酷似一尊观音菩萨安详地躺在莲花洋上,头、颈、胸、腹、脚均分明可辫,故有“睡观
  音”、“海上大卧佛”之称。
   位于洛迦山北山腰坪地处,原为观觉蓬,建于清末。1988年普陀山佛协重建庵院改“观觉”为“大
  觉”。在大觉庵南约15米处,有与其同时建的大悲殿。大悲殿由比丘尼修持,门联云“白云伴洛迦山圣
  境涌佛塔,红日初升莲花汪洋腾金波”。
   洛迦山有二处“水晶宫”,相传为观音大士灵现处。一在岛北阜头附近,岩底下一个三角形
あと、説明が長いので省略するしかない。詳しくは以下を参照されたい。
  http://baike.baidu.com/view/841201.htm

○上記に、
  洛迦山位于普陀山东南约5.3公里处,传为观世音菩萨发迹、修行之圣地。
とあるけれども、もともと観音菩薩はインドの佛様であるから、洛迦山に観音菩薩が出現するとも思われない。ここの記事は洛迦山が観音菩薩行を行う人々の聖地であったことを意味する表現だと思われる。

○普陀山や洛迦山について、中国の「百度百科」や普陀山や洛迦山に言及する本を読んでも、普陀山や洛迦山の歴史は皆目不明とするしかない。「百度百科」が案内する普陀山の項目中には、
   唐咸通四年(公元863),日僧慧锷从五台山请得观音像回国,途经普陀山海面时触新罗礁受阻,
  于潮音洞登岸,留佛像于民宅中供奉,称“不肯去观音院”,观音道场自此始。
と明記し、普陀山の観音信仰の起源を「唐咸通四年(公元863)」としている。その始まりも、「日僧慧锷」の「不肯去观音院」だとする。

○日本人にとっては、甚だ名誉な話ではあるけれども、普陀山の観音信仰がそれほど新しいものとは思われない。普陀山を訪れてみると判ることだが、普陀山には、それより古いものがいくらでも存在する。

○また、普陀山の歴史の中には、和冦に関するものも随分と含まれている。ある時期、普陀山は和冦の巣でもあった。普陀山では、和冦のことを抜きに語れない歴史が存在することも忘れてはならない。

●11月10日に、李さんに連れられて洛迦山へ行き、以前使われていた波止場から観音菩薩頭部の部分を眺めることができた。この部分が私には気になって仕方がなかった。それは洛迦山の観音菩薩の御姿は、本当は人工的に造作されたものではないかと思えたからである。

●普陀山から洋上5卆茲頬召猴豌犹海隆儔司郢Г慮羯僂蓮⊃澄垢靴ぁ昨年3月に初めて普陀山を訪れ、百歩沙から望んだ洛迦山の観音菩薩の御姿を忘れることはできない。

●それから幾度となく、その写真を眺めているうちに、洛迦山の観音菩薩の御姿に、極めて不自然な部分があることに気付いた。それは観音菩薩のちょうど首の部分に当たる。写真を再掲するので見て欲しいのだが、それは極めて不自然なのである。

●同じことが日本の小宝島でも言える。そのことを確認する意味で、昨年12月に小宝島も訪れ、実地検分してきた。今回の洛迦山訪問も、実は観音菩薩の首の部分を実地検分することが目的だった。

●結論から言うと、おそらく、洛迦山の観音菩薩の御姿も、小宝島のものも、人の手によって造作されたものとするしかない。自然のままではああいうふうに存在することの方が無理がある。もちろん、それはおそらく1500年以上も昔の話であるから、それを証明することは難しい。

●約600劼粒い魍屬討董⇒豌犹海半宝島に同じような観音菩薩の御姿が存在する。決してそれは偶然ではない。そして、それはともに信仰のために造作された結果だと私には思えてならない。

●その観音菩薩の御姿の首と頭部の部分の様子については、次回述べたい。