ホテルカリフォルニアin名瀬 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

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○『レントゲン(住民健診)便』フェリーとしまが奄美大島、名瀬港の佐大熊岸壁に接岸したのは、予定時間の午後3時20分より10分ほど遅れた、午後3時30分であった。

○5月22日(水)の午後10時に乗船してから、約41時間半ぶりに、下船したことになる。もちろん、吐噶喇列島の途中の各島々で中途下船を繰り返してはいたが、完全に下船したのはここであった。

○下船する誰もの顔が明るい。やはり、下船には、一種独特の雰囲気があって、安堵の気持ちが皆の表情に見て取れる。それに、この船は『レントゲン(住民健診)便』であったから、乗船なさっている方のほとんどが関係者である。仕事が無事終了したことの喜びの表情でもあったのだろう。

○名瀬新港フェリーターミナルは対岸の右岸にあって、フェリーとしまは、通常、そちらに停泊するらしいのだが、別の船がそちらを使っている時に、この佐大熊岸壁を使うらしい。だから、佐大熊岸壁は、近くにターミナルも何もない、寂しい港であった。

○そのことは、事前に、インターネットで調べていて、佐大熊岸壁から一番近いホテルを予約していた。何しろ、明日の朝、4時に船は出航するのだから。したがって、奄美大島滞在時間は、おおよそ12時間くらいになる。

○港には、たくさんの出迎えの人や車でごったがえしていた。船から解放された人々の顔はみな明るい。その人混みの中を掻き分けて、町の方へ歩いて行った。港は町から結構離れているので、皆車を利用するようで、歩いて行く人はほとんどいない。

○県道81号線を歩いて行くと、消防本部の建物の先に、回転寿司「まんてん」があった。美味しそうな店だが、まだ夕食には早い。さらに進むと「THUTAYA」があって、その先にミスタードーナツがある。そこを左折するのだが、その向こうにベスト電器が見えたので、不足が心配なカメラ用単3乾電池を購入してから、ホテルに向かう。伊津部小学校とミスタードーナツの間の道を進むと、登り道に、ホテルへの案内板を見付けた。

○疲れていたし、荷物もあったので、結構、この坂の登りはしんどかった。それでも、上に行くと、景色が素晴らしくて、ここのホテルを選んだことは正解であった。佐大熊岸壁からホテルまではおおよそ1、5劼らいだろう。明日の朝は、下り道であるから、心配要らない。

○ホテルカリフォルニアの名は、多分、イーグルスの名曲「ホテル・カリフォルニア」からの命名であろう。ホテルは一階部分が、"レストラン・ウエディング・アガルイ"となっていて、ホテルの部屋は二階部分の六部屋しかない、小さなホテルである。ホテルの案内には、2009年 5月にオープンとあった。

○真っ白の二階建てのレストランホテルで、洒落た小さなホテルであった。折角のレストラン付きのホテルなのだが、初めての奄美大島、名瀬であるから、シャワーを浴びてから、歩いて名瀬の町に繰り出した。

○町までは約1辧9圓は下りであるから歩いて行った。帰りは登りで大変だからタクシーを利用した。港町であるから、狭いところに店や住宅が密集している。歩いて回れるほどの広さである。

○港の近くの川に大橋が架かっていて、そこに銅像らしきものが見えた。行ってみたら、盆踊りをしているような銅像が二組存在した。

○港では釣りをしている人を見掛けた。釣り見物に出掛ける。仕掛けはチヌ釣り仕掛けみたいであった。夕方、最高の釣りである。その先では、アジ子釣りの人々も見掛けた。

○町に帰って、夕食するところを探したが、なかなか、格好の店が見付からない。結局、夕食はファミレスで済ませた。これなら、ホテルで食べれば良かった。

○8時ころにはホテルに帰って寝た。何しろ、明日朝は、4時出航である。遅れたら大変である。夜中に一回目が覚めて、外を眺めたら、夜景が美しい。二階のベランダでゆっくり過ごすことが出来たら、最高なのだろう。勿体ない夜であった。

○肝心のホテルの写真を撮り忘れた。あまりにきれいなところだったので、つい、見とれてしまったせいだろう。