「魏志倭人伝の謎を解く」:検証① | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

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○先日、BS歴史館「古代史最大のミステリー 邪馬台国の魔力に迫る」と言う番組で、渡邉義浩の「魏志倭人伝」史料批判について、大変疑問を抱いた。
○このことについては、既に、本ブログに、
  ・書庫「邪馬台国検証」:ブログ『BS歴史館:「邪馬台国の魔力に迫る」検証』
として書いている。
○その渡邉義浩が、
  ・「魏志倭人伝の謎を解く」(中公新書:2012年5月25日発行)
と言う本を出しているとの案内を新聞で見付け、読んでみた。非常に面白い本で、大いに参考になった。気になることを検証してみたい。

○本のカバー帯には、以下のようにある。
      なぜ、邪馬台国は、中国の東南海上に描かれたか
   考古学調査と並び、邪馬台国論争の鍵を握るのが、「魏志倭人伝(『三国志』東夷伝倭人の条)で
  ある。だが、『三国志』の世界観を理解せずに読み進めても、実像は遠のくばかりだ。なぜ倭人は入
  れ墨をしているのか、なぜ邪馬台国は中国の東南海上に描かれたのか、畿内と九州どちらにあったのか。
  『三国志』研究の第一人者が当時の国際情勢を踏まえて検証し、真の邪馬台国像に迫る。「魏志倭人
  伝」の全文と詳細な訳注を収録。
○ブックカバーにも、「魏志倭人伝の謎を解く」と題して、同様の解説文を載せる。これは大いに期待できそうである。なかなか日本には、「魏志倭人伝」を読み解いた、本格的な書物がない。そう言う意味では、専門家の書いたものであるから、間違いはない。
○渡邉義浩は、「魏志倭人伝の謎を解く」の緒言で、以下のように説く。
   わたしは、中国の三国時代の研究を専門とする。日本古代史や日本考古学を専門としないわたしが、
  「魏志倭人伝」を読み解く理由は、「魏志倭人伝」が、六十五巻に及ぶ『三国志』のなかの「巻三十
   烏桓・鮮卑・東夷伝」の一部である「倭人の条」(以下、倭人伝と略称)を指しているためである。
  倭人伝は、『三国志』という史書の持つ偏向が、明確に現れている部分であり、以前から邪馬台国論
  争への提言を試みたいと考えていた。倭人伝には、使者の報告などに基づく部分と、史家の持つ世界
  観や置かれた政治状況により著された観念的叙述の部分があるため、両者を分けなければならない、
  という提言である。
   両者の区別を日本古代史や日本考古学の研究者に要求することは酷である。『三国志』の著者であ
  る陳寿(二三三~二九七年)の世界観や政治状況は、約三十七万字に及ぶ『三国志』(それに付けら
  れている裴松之[三七二~四五一年]の注は、本文に匹敵する約三十六万字)のすべてに目を通すだ
  けではなく、世界観を形成している儒教の経典に通じなければ分からないためである。本書は、すで
  に出版されている倭人伝に関する多くの著作に比べて、『三国志』に目を通した中国史研究者が、倭
  人伝の記述を二つの部分に分けて検討するところに特徴がある。(中略)
   本書は、「魏志倭人伝」を『三国志』東夷伝 倭人の条として読むものである。『三国志』を著した
  陳寿の偏向、曹魏の内政と外交、陳寿に代表される史家の世界観などに起因する倭人伝の歪みを取り
  除き、邪馬台国の真実を示していこう。

○これなら、「魏志倭人伝」が完全読解されるに違いないと期待したいところであるが、現実はなかなか厳しい。何故か、渡邉義浩は、肝心の「魏志倭人伝」をまるで読もうとしない。『三国志』研究の第一人者(上記、案内文に拠る)にそういうことを話すのは、まさに『釈迦に説法』だと思うのだけれども、おかしいものはおかしい。誤りは正すしかない。

○第一、上記された、
  ・なぜ、邪馬台国は、中国の東南海上に描かれたか
にしてからが、間違っている。「魏志倭人伝」には、帯方郡から順次邪馬台国へ向かうと、
  ・帯方郡→  狗邪韓国 七千余里 
  ・狗邪韓国→ 対海国   千余里  
  ・対海国→  一大国   千余里
  ・一大国→  末廬国   千余里
で、末廬国(松浦半島)まで到着するのに、ちょうど、『萬余里』となると書いてある。更に、同じく「魏志倭人伝」に、
  ・自郡至女王国萬二千余里。
とあって、そのことは、渡邉義浩自身、「魏志倭人伝の謎を解く」の中で認め、
  ・邪馬台国への里程(魏志倭人伝)
として図式化までしている。

○それなら、邪馬台国は末廬国(松浦半島)から『二千余里』のところに存在するはずである。誰が計算してもそうなる。それなら
  ・なぜ、邪馬台国は、中国の東南海上に描かれたか
とならないことは、自明のことである。

○誤解があるといけないから、『二千余里』の距離の判断も「魏志倭人伝」に従いたい。「魏志倭人伝」の『二千余里』の距離は、おおよそ、
  ・対海国→  一大国   千余里
  ・一大国→  末廬国   千余里
だと思えば間違いない。つまり、対馬から松浦半島までの距離である。それで、どうして、
  ・なぜ、邪馬台国は、中国の東南海上に描かれたか
などと言う表現が出てくるかが判らない。

○陳寿は恐ろしい史家である。何しろ「三国志」をものしたくらいである。専門家だからと言って、そんな簡単に「魏志倭人伝」が読み解けるとも思えない。宮崎市定が「魏志倭人伝」に言及しなかった話はよく知られている。宮崎市定ほどの史家をしても、「魏志倭人伝」は読み解けなかった。

○私は、
  ・「三國志」(全五冊):中華書局出版:新華書店北京発行所発行:
       1959年12月第1版:1982年7月第2版:1985年8月北京第8次印刷
で、「三国志」を読んでいる。だから、一通り「三国志」には目を通したつもりである。もちろん、専門家ではないから、完全ではない。

○何故、渡邉義浩は「魏志倭人伝」を読まないのだろうか。不思議でならない。渡邉義浩の「魏志倭人伝の謎を解く」は、そういう意味で勉強になる。しばらく、渡邉義浩の「魏志倭人伝の謎を解く」について、論じてみたい。