万葉集が記録する大和三山 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

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○私見によれば、「万葉集」には香具山が十四回、畝傍山が六回、耳成山が三回記録されている。以下がその全記録である。

 碧鑈媾鹸一 2)
   天皇、香具山に登りて国見したまふ時の御製歌   天皇登香具山望国之時御製歌
  大和には   群山あれど           山常庭  村山有等
  とりよろふ  天の香久山           取与呂布 天乃香具山
  登り立ち   国見をすれば          騰立   国見乎為者
  国原は    煙り立ち立つ          国原波  煙立龍
  海原は    鷗立ち立つ           海原波  加万目立多都
  うまし国ぞ  秋津島             怜可国曾 蜻嶋  
  大和の国は                  八間跡能国者
◆碧鑈媾鹸一 13)
   中大兄の三山の歌一首           中大兄三山歌一首
  香具山は  畝傍雄々しと        高山波 雲根火雄男志等
  耳成と   相争ひき          耳梨与 相諍競伎
  神代より  かくにあるらし       神代従  如此尓有良之
  いにしへも しかにあれこそ       古昔母 然尓有許曾
  うつせみも つまを 争ふらしき     虚蝉毛 嬬乎 相挌良思吉
(万葉集巻一 14)
   香具山と耳梨山とあひし時        高山与 耳梨山与 相之時
   立ちて見に来し印南国原         立見尓来之 伊奈美国波良
ぁ碧鑈媾鹸一 28)
   天皇の御製歌            天皇御製歌
  春過ぎて 夏来にけらし 白妙の      春過而 夏来良之 白妙能
  衣干したり 天の香具山          衣乾有 天之香來山
ァ碧鑈媾鹸一 29・30・31)
   近江の荒れたる都を過ぐる時、      過近江荒都時
   柿本朝臣人麿の作る歌          柿本朝臣人麿作歌
   玉襷 畝傍の山の              玉手次 畝傍之山乃
   橿原の 聖の御代ゆ             橿原乃 日知之御世従
   生れましし 神のことごと          阿礼座師 神之盡
   栂の木の いやつぎつぎに          栂木乃 弥継嗣尓
   天の下 知らしめししを           天下 所知食之乎(以下略)
Α碧鑈媾鹸一 52)
   藤原宮の御井の歌              藤原宮御井歌
   (前略)
   大和の 青香具山は             日本乃 青香具山者
   日の経の 大御門に             日経乃 大御門尓
   春山と 繁さび立てり            春山跡 之美佐備立有
   畝傍の この瑞山は             畝傍乃 此美豆山者
   日の緯の 大御門に             日緯能 大御門尓
   瑞山と 山さびいます            弥豆山跡 山佐備伊座
   耳成の 青菅山は              耳高之 青菅山者
   背面の 大御門に              背友乃 大御門尓
   宜しなべ 神さび立てり           宜名倍 神佐備立有(以下略)
А碧鑈媾鹸二 199~200・201・202)
     高市皇子尊の城上の殯宮の時、    高市皇子尊城上殯宮之時、
       柿本朝臣人麿の作る歌       柿本朝臣人麿作歌
   (前略)
   萬代と    思ほしめして        万代跡   所念食而
   作らしし   香具山の宮         作良志之  香來山之宮(以下略)
─碧鑈媾鹸二 207)
     柿本朝臣人麿、妻死かりし後、    柿本朝臣人麿、妻死後、
     泣血哀慟して作る歌         泣血哀慟作歌
  吾妹子が  止まず出で見し       吾妹子之  不止出見之
  軽の市に  わが立ち聞けば       軽市尓   吾立聞者
  玉襷    畝傍の山に         玉手次   畝火乃山尓
  鳴く鳥の  声も聞えず         喧鳥之   音母不所聞
  玉桙の   道行く人も         玉桙    道行人毛(以下略)
(万葉集巻三 257)
     鴨足人の香久山の歌一首        鴨足人香久山歌一首
   天降りつく  天の芳來山        天降付   天之芳來山
   霞立つ    春に至れば        霞立    春尓至婆
   松風に    池波立ちて        松風尓  池浪立而(以下略)
(万葉集巻三 259)
   何時の間も  神さびけるか       何時間毛  神左備祁留鹿
   香山の    鉾椙が本に        香山之   鉾椙之本尓
   薛生すまでに              薛生左右二
(万葉集巻三 260)
     或る本の歌に云ふ          或本歌云
  天降りつく  神の香具山        天降就   神乃香山
  打ち靡く   春さり来れば       打靡    春去來者
  櫻花     木の暗茂に        櫻花    木暗茂(以下略)
(万葉集巻三 334)
     帥大伴卿の歌五首           帥大伴卿歌五首
  わすれ草 わが紐に付く 香具山の    萱草 吾紐二付 香具山乃
  故りにし里を 忘れむがため        故去之里乎 忘之為
(万葉集巻三 426)
     柿本朝臣人麿、香具山の屍を見て、     柿本朝臣人麿見香具山屍、
       悲慟びて作る歌一首          悲慟作歌一首
  草枕 旅の宿りに 誰が夫か          草枕 羈宿尓 誰嬬可
  國忘れたる 家待たまくに           國忘有 家待眞國
(万葉集巻四 543)
   神龜元年甲子冬十月、紀伊國に幸しし時、    神龜元年甲子冬十月、幸紀伊國之時、
    従駕の人に贈らむがために、         為贈従駕人、
    娘子に誂へられて作る歌一首 笠朝臣金村   所誂娘子作歌一首 笠朝臣金村
  大君の   行幸のまにまに          天皇之   行幸乃随意
  物部の   八十伴の雄と           物部乃   八十伴雄与
  出で行きし 愛し夫は             出去之   愛夫者
  天飛ぶや  軽の路より            天翔哉   軽路従
  玉襷    畝火を見つつ           玉田次   畝火乎見管(以下略)
(万葉集巻七 1095)
    山を詠む                  詠山
  いにしへの 事は知らぬを われ見ても    昔者之 事波不知乎 我見而毛
  久しくなりぬ 天の香具山          久成奴 天之香具山
亜碧鑈媾鹸七 1335)
    山に寄す                  寄山
  思ひあまり 甚もすべ無み 玉襷       思賸 痛文為便無 玉手次
  畝傍の山に われは標結ふ          雲飛山仁 吾印結
院碧鑈媾鹸十 1812)
     春の雑歌 春雑歌
   ひさかたの 天の香具山 この夕べ     久方之 天芳山 此夕
   霞たなびく 春立つらしも         霞霏  春立下
押碧鑈媾鹸十一 2449)
    物に寄せて思を陳ぶ             寄物陳思
  香具山に 雲居たなびき 鬱しく       香山尓 雲位桁曳 於保保思久
  相見し子らを 後戀ひむかも         相見子等乎 後戀牟鴨

○これらを逐一詳細に検討して行くと、面白い問題がいくらでも出て来る。それが大和三山に興味を抱いたきっかけである。その検討した結果全体はあまりに厖大であるから、ブログではとても紹介できない。興味ある方は是非、挑戦を。

○そうすれば、大和三山が邪馬台国三山であることが本当によく判る。尚、案内した万葉和歌原文は岩波古典大系本「万葉集1~4」に拠る。

○本来、読書とは筆者が思ったこと・感じたことを記録したものを追体験することに他ならない。大和三山が邪馬台国三山であることを理解するために必要と思われるので案内しておく。