○大和三山の歌と言えば、何と言っても、「万葉集」巻一が載せる天智天皇の『大和三山の歌』が有名である。
中大兄の三山の歌一首 中大兄三山歌一首
香具山は 畝傍雄々しと 高山波 雲根火雄男志等
耳成と 相争ひき 耳梨与 相諍競伎
神代より かくにあるらし 神代従 如此尓有良之
いにしへも しかにあれこそ 古昔母 然尓有許曾
うつせみも つまを 争ふらしき 虚蝉毛 嬬乎 相挌良思吉
(「万葉集」巻一 一三)
○畝傍山・香具山・耳成山の大和三山が相諍した話である。実は、万葉学者の間では、現在に於いても、この大和三山の男女がどういうものであるか、決着を見ていない。主な学者の説を案内すると、
仙覚・契沖・賀茂真淵 男山:畝傍山・耳成山 女山:香具山
木下幸文・大神眞潮 男山:香具山・耳成山 女山:畝傍山
山田孝雄(昭和三年) 男山:香具山・耳成山 女山:畝傍山
武田祐吉(昭和五年) 男山:香具山・耳成山 女山:畝傍山
鴻巣盛廣(昭和十年) 男山:香具山・耳成山 女山:畝傍山
沢瀉久孝(昭和三十二年) 男山:畝傍山・耳成山 女山:香具山
土屋文明(昭和五十一年) 男山:香具山・耳成山・畝傍山
伊藤 博(平成七年) 男山:香具山・耳成山 女山:畝傍山
となっている。最も新しい 伊藤博の説は「男山:香具山・耳成山 女山:畝傍山」となっている。これらの学者が奈良県の大和三山を実見したかも疑わしい。まして、大和三山が鹿児島県に実在したことなど、思いもよらなかったに違いない。
○見たことのないものを勝手にあれこれ想像して発言するのも、もちろん自由である。しかし、それでは到底真実に近づくことは難しい。
○実際、この大和三山相諍の話も、まさか本当に山が相諍することなどあり得ない話である。これは寓話として捉えるべきことであろう。
○奈良県の大和三山では誰にもそのことを説明できない。それが鹿児島県ではきれいに説明がつく。もちろん、香具山は桜島山であるから大隅国を意味し、耳成山は開聞岳であるから薩摩国を代表することは分かり切った話である。
○現在、鹿児島市から、目の前に桜島が錦江湾上に浮かんでいるのが目撃されるし、桜島全島が鹿児島市内となっていることから、桜島は鹿児島市のものだと思っているかも知れない。しかし、本来、歴史的に見れば桜島は、もともと大隅国の範疇に入る島であって、薩摩国に存在したことは一回もない。
○結局、この大和三山相諍の話は薩摩国と大隅国との争いの寓話であることが判る。耳成山が薩摩国を意味し、香具山が大隅国を代表し、畝傍山が日向国を象徴していると考えるべきだろう。
○その薩摩国と大隅国との争いについては、「古事記」や「日本書紀」が山幸彦・海幸彦神話として伝えているし、「魏志倭人伝」も邪馬台国と狗奴国の争いとして記録している。それほどこの二国間の争いは激しく、長く続いたものと思われる。
○判るように、もう一つの畝傍山は霧島山である。だから、薩摩国と大隅国との争いは日向国まで巻き込んだものとなっていた。それに、『中大兄の三山の歌』が、
香具山は 畝傍雄々しと
耳成と 相争ひき
と歌っていることも注目すべきである。あくまで『香具山』が主語である。結果、相諍は大隅国の勝利に終わった可能性が高い。
○万葉学者たちが、この大和三山の男女の問題に拘泥することも大事なのかもしれない。しかし、これは本来、寓話に過ぎない話であって、実話ではない。どちらが男であっても女であっても、さして意味はない。それより、大事なのはこの大和三山相諍がどういう話であるかと言うことではないか。
○「万葉集」は大和三山相諍の和歌を、『中大兄の三山の歌』として記録している。だから、中大兄皇子が見たのは奈良県の大和三山であったと思われる。しかし、「万葉集」をよく読むと、多くの和歌が古い和歌の焼き直しであると思われる。この和歌もそういう古い和歌を詠み改めた和歌である可能性が高い。
○面白いことに薩摩国一の宮である枚聞神社や、大隅国大隅郡大隅郷である現在の志布志市に鎮座まします山宮神社には天智天皇伝承が色濃く残っている。『中大兄の三山の歌』と何か関係があるのかもしれない。残念ながらまだそこまでは見えていない。
○それに、枚聞神社が薩摩国一の宮であるように、まだ、一の宮の概念が成立していない古い時代、
・日向国一の宮:霧島神社:霧島山
・大隅国一の宮:月読神社:桜島山
・薩摩国一の宮:枚聞神社:開聞岳
のような概念が存在した可能性もある。おそらく鹿児島神宮や新田神社、都萬神社はその後に成立した新しい神社ではないかと思われる。新しいと言っても相当古いのであるが。
○和歌には政治色が希薄であるから史書に見えない史実を知ることができる。それでも「万葉集」を読むと、結構政治の力が和歌にまで及んでいることに驚く。なかなか純真・素朴な和歌は存在しないことが判る。