西穂高岳登山~山頂まで~ | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

 

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○標高2701辰瞭班源劃困鵬拱をデポして西穂高岳山頂を目指したのは、9時ころである。独標の手前から激しくなった雨は、ちょっと収まり、10峰と覚しき峰がすぐ目の前に見えている。

○ただ、登山道は狭いし、おまけに石がゴロゴロしていて登りにくい。登山道は尾根の西側についていて、今日の東風を禦いでくれて助かる。アップダウンを繰り返しているうちに、8峰に到着。

○8峰にも名が付いていて、『ピラミッドピーク』とある。何せガスの中であるから、ここがどうしてピラミッドピ-クと言う名なのかよく判らない。下山途中で判ったのだが、独標や7峰から眺める形状から命名されたものではないか。

○7峰に到着。峰の先端に登る道があったから、ここが西穂高岳山頂ではないかと期待したが、何もない。何もない峰先にしっかりした道がついているのが不思議である。その理由は帰り道ではっきりした。

○この辺りから、いよいよ登山道は一層狭く、厳しいものとなった。いわゆる瘠せ尾根で、両端は絶壁となっていて、数百値遒噌?鵑任い襦1で滑りやすい岩肌を、用心しながら歩く。

○5峰、4峰と進むにつれ、西穂高岳山頂が1峰であることがはっきりした。しかし、幸い雨が小降りになって、風も収まった。ここまで来たのだから、頑張って山頂を目指す。

○2峰で、雷鳥と出会う。詳しくは次回に述べたい。

○2峰は1峰の途中にある峰と言った感じで、この辺りから登りがきつい。加えて石がゴロゴロしている道ではなくて、まるっきり岩を登る感じである。それでも1峰は随分高いから、ここが西穂高岳山頂であることは間違いなさそうである。滑り落ちないように、十分気をつけて登る。

○そうこうしているうちに、ようやっと西穂高岳山頂に十時に到着。独標に荷物をデポしたので、早く着くことが出来た。岩に主峰と大書してある。こんなことをしなくても判るのにと思うが、山頂にたどり着いた喜びは大きい。多分、今日の悪天候では、唯一人の訪問者ではないか。

○山頂も相変わらずのガスで、何も見えない。山頂には『西穂高岳 2909叩戮良乎譴建っているだけである。

○本来、奥穂高岳(3190叩砲ら西南に続く尾根の最高峰はジャンダルムの3163辰如天狗ノ頭(2909叩法間ノ岳(2907叩法∪省羚盂戞複横坑娃検■境叩砲箸覆辰討い襦ただ、新穂高温泉方面からは、西穂高岳が主峰として見えるから、西穂高岳と呼ばれることになっている。

○北アルプス最高峰が奥穂高岳(3190叩砲任△襪海箸聾世Δ泙任發覆ぁF鐱椶派抻了魁λ務戮紡海第3位の山である。北アルプスでもっとも有名なのは槍ケ岳(3180叩砲任△蹐Δ、槍ケ岳は第5位である。

○ちなみに、奥穂高岳と槍ケ岳との間にある涸沢岳(3110叩砲第8位、北穂高岳(3106叩砲第9位、大喰岳(3101叩砲第10位となっている。その他、前穂高岳(3090叩砲第11位、中岳(3084叩砲第12位、南岳(3032叩砲第17位で、西穂高岳(2909叩砲和茖械碓未任△襦

○山の偉容は必ずしも高さだけで決まるわけではない。しかし、北アルプスが本来、飛騨山脈であることを考えると、その中心は穂高にあることは言うまでもない。

○穂高の西の山小屋が西穂山荘である。西穂高岳荘ではない。西穂山荘が穂高山全体を意識して命名された名であることは言うまでもない。そして、多分、飛騨高山の名もそうであろう。

○今回、雨の為、残念ながら縦走は叶わなかった。しかし、何時まででも縦走が出来る歳ではない。近いうちに実行できたらと思う。