再度、知幻童子の命日に | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

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○今日、7月31日は、旧暦では6月20日であって、今年は知幻童子の百八十三回目の命日に当たる。知幻童子とは、安井息軒先生の息女、三保のことである。

○日向國安国寺跡墓地に、知幻童子の墓はある。墓石正面に『知幻童子』と大書され、天保八酉(1837年)六月二十日の命日が記されている。また、墓石左側面に、『安井仲平女 三保 享年六歳』とある。安井仲平とは、安井息軒のことである。

○先月、6月20日に、知幻童子の命日であるからして、一回は詣でたのであるが、本来の命日は旧暦であるからして、7月31日とすべきであろう。だから、再度、知幻童子の墓に詣で、洗墓し、花を手向けて来た。

○ちょうど、今は我が家に手頃の花が無いこともあって、日南に向かう途中、中郷の鹿ノ河内にある、国道222号線沿いで菊の花を買った。ここは花好きの方が販売している無人販売の花屋さんである。まだ、午前10時なのに、もう花はわずか一束しか残っていなかった。

○日向國安国寺跡墓地に到着したのは良いが、何故か駐車場が車でいっぱいとなっている。ここには数回訪れているが、車が停まっていることの方が珍しい。今日は、知幻童子の命日であるからして、法要か何かあるのだろうかと思った。

○何処にも駐車スペースが無いので、しばらく待っていたら、軽トラックが駐車場を出たので、その後に駐車。準備して日向國安国寺跡墓地へ向かったら、墓地ではお坊さんが来て、法要を行っている。十数名の喪服姿の人が参集して、法要の最中であった。誰かの納骨でも行われているようである。駐車場が満杯なのは、この法要であるらしい。

○他には誰一人居ない。知幻童子の墓のところに行ったら、枯れたボンボンバナが手向けられていた。6月20日に行った時も同じようにボンボンバナが手向けられていたから、私の後に誰かが知幻童子の墓にお参りしたものらしい。花からして多分、同じ方ではないか。

○6月20日の時も梅雨の時期で、蒸し暑く大変であったが、今日は格別暑い。森鷗外の小説『安井夫人』で、三保は、

   仲平は今年四十一、お佐代さんは二十八である。長女須磨子に次いで、二女美保子、三女登梅子
  (とめこ)と、女の子ばかり三人出来たが、仮初(かりそめ)の病(やまひ)のために、美保子が早く亡く
  なつたので、お佐代さんは十一になる須磨子と、五つになる登梅子とを連れて、三計塾に遣つて来
  た。

と記録されている。知幻童子が亡くなったのは、『仮初(かりそめ)の病(やまひ)』とある。知幻童子はこういう暑い盛りに亡くなったことが判る。

○もし、三保が生きていれば、今年で百八十九歳になるはずだが、六歳で亡くなった人は永遠に六歳でしかない。知幻童子は、未来永劫、知幻童子である。お佐代さんになり代わり、知幻童子の墓に詣で、菊の花を手向けて来た。

○うだるような暑さの中、日向國安国寺跡墓地では、百日紅の花が元気よく咲いていた。