幸島 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

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○串間市市来の幸島は、宮崎県なのだけれども、ブログ「白尾國柱と薩摩國」を、書庫『鹿児島を彩る人々』で紹介したので、ここで案内することにする。

○先日、久し振りに幸島に足を伸ばした。串間市市来は随分辺鄙な地に存在するので、なかなかここまで足を伸ばすことも難しい。ブログ「白尾國柱と薩摩國」を書いた時、写真が欲しかったのだが、適当な写真が無かった。それが気になっていたので、写真を撮ってきた。

○幸島と言えば、何と言っても、海水でイモを洗う文化サルの存在であろう。京都大学霊長類研究所の関連施設もすぐ近くに存在する。

○ここには幸島のほかに築島、鳥島が存在する。串間市市来の名は宗像三女神の一人、市杵島姫神(いちきしまひめ)に由来すると思われる。

○宗像三女神は、「古事記」に拠れば、
  多紀理毘売命(たきりびめ)
  市寸島比売命(いちきしまひめ)
  多岐都比売命(たぎつひめ)の三神であり、「日本書紀」には諸説を載せるが、本文では、
  田心姫(たごりひめ)
  湍津姫(たぎつひめ)
  市杵嶋姫(いちきしまひめ)
となっている。ただ、宗像大社の社伝では、
  沖津宮 - 田心姫神(たごりひめ)
  中津宮 - 湍津姫神(たぎつひめ)
  辺津宮 - 市杵島姫神(いちきしまひめ)
として「日本書紀」本文に従っている。つまり、沖ノ島に田心姫神(たごりひめ)、大島に湍津姫神(たぎつひめ)、宗像市田島に市杵島姫神(いちきしまひめ)を齋き祀っていると言うことなのだろう。

○市杵島姫神(いちきしまひめ)の御名は、どう考えても、齋島・厳島(いつくしま)から来ていると思われる。だから、本来、市杵島とは、神の齋き祀られている島の謂いであろう。串間市市来の築島も、おそらく、市杵島姫神(いちきしまひめ)からの名ではないか。

○そう考えると、ここでは、
  鳥島ー沖津宮 - 田心姫神(たごりひめ)
  幸島ー中津宮 - 湍津姫神(たぎつひめ)
  築島ー辺津宮 - 市杵島姫神(いちきしまひめ)
のパターンが考えられる。  

○尚、串間市市来は、かつて龍源寺が存在したところでもある。龍源寺は南甫文之が学んだ寺である。文之の故郷、外ノ浦もここからは近い。