知幻童子の命日に | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

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○一昨年七月に、初めて宮崎県日南市飫肥にある日向安国寺墓地を訪れ、安井滄州先生の墓を探したが、広い墓地を隈無く探しても見付けることが出来なかった。安井滄州先生は息軒先生の父君に当たる。

○ここは飫肥城の東側の丘陵地になっている。今は木が生い茂っているから眺望することは出来ないが、木々が無ければ眼下に飫肥の城下町が広がり、その先に酒谷川が大きく湾曲しているはずである。

○十一月になって再び日向安国寺墓地を訪れ、墓地に隣接する長久寺の柳田耕雲先生の奥さんにわざわざ案内していただいて、ようやく安井滄州先生の墓を見付けることが出来た。

○その後、二回、日向安国寺墓地を訪れ、何とか安井滄洲先生墓碑銘を読むことも出来た。安井滄州先生の墓域には三基の墓石が建ち、向かって右手に滄州先生の墓、真ん中に安井氏先坣僑位、左手に知幻童子の墓が建っている。

○一昨年十一月には、滄洲先生の墓碑は、誰かが洗墓して読んだらしく、墓石面は綺麗であった。それに一、二カ所修正跡も見られた。それに対して、安井氏先坣僑位や知幻童子の墓は一面苔生し、蔦まで匍う状況であった。それを洗墓して読んだところ、安井氏先坣僑位や知幻童子の墓であることが判った。

○詳細は、本ブログの書庫『鹿児島を彩る人々』に、以下を載せている。参照されたい。

  日向国安国寺と日本儒学の創始
  安井滄州先生の墓
  安井滄洲先生墓碑銘
  安井滄洲先生墓碑銘を読む  
  安井滄洲先生墓碑銘を読む
  安井滄洲先生墓碑銘を読む
  安井氏先坣僑位
  知幻童子墓

○知幻童子の墓は安井息軒先生の息女、三保の墓である。墓石には、享年六歳、天保八酉(1837年)六月二十日とある。

○最後に、我が家の庭に咲いていた菊の花を手向けた。あれから一年半が経つ。先日、ブログを見ていて、三保の命日が六月二十日であることを思い出し、今日、お佐代さんに成り代わり、三保の墓に詣で、我が家の庭に咲く紫陽花の花を手向けてきた。

○私が知幻童子の墓に墓参した後、誰かが花を手向けたらしく、枯れたぼんぼん花が花瓶に残されていた。墓石はまた相当苔生していたので、綺麗に洗石し、紫陽花の花を手向けた。

○三保が亡くなって、今年は百八十三回目の命日にあたる。もっとも、当時は旧暦であるから、本当の命日は今年であれば七月三十一日になる。随分暑い時期に三保は亡くなったことになる。

○折しも、梅雨の時期で、雨の中の墓参となった。ただ広い日向安国寺墓地には誰一人居ない。日向安国寺が廃仏毀釈で廃寺となって久しいが、

  有縁無縁 三界萬霊等

の石塔だけが、日向安国寺墓地に空しく建っていた。