大器塔 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

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○2010年7月31日は、旧暦で6月20日に当たり、知幻童子の百八十三回目の命日であった。うだるような暑さの中、知幻童子の墓に花と線香を手向けてきた。

○二女三保が亡くなった時、夫の息軒先生は江戸にあり、舅である滄洲先生は二年前に既に没していて、長女須磨子十歳、三女登梅はまだ三歳であった。お佐代さんはこういう暑さの中、どういう思いで、一人、二女三保を見送ったのであろうか。知幻童子の墓はお佐代さんの深い悲しみを具現している。

○知幻童子の墓参りの帰り、墓地の中に数基の墓塔が並んでいるところがある。墓地内に日南郷土史会が建てた案内板にある、歴代の日向安国寺の住持の石塔と思われる。

○その一番手前の丸い形の石塔に、「大器塔」の大書がある。側面から裏面にかけて刻字されているのに気付き、読んでみた。裏側がすぐに壁となっていて、下の文字が見難く、全部を正確に読み取ることが出来なかったので、二、三、気になるところもあるが、一応以下のように読んでみた。後日、機会があった時、訂正したい。
【原文】
   大器塔
  四十二世師諱禪最号
  勝道姓黒木氏星倉之
  産也七歳而失母誘慕
  志佛誕生会見能禪師
  清為弟子能諾曰好箇
  頑童頗具禪機矣就師
  剃度首髪十九歳春閏
  一月荷擔袱子驀攀豐
  嶺掛錫两鼎山安居十
  霜一帰省遂呑畫海洲
  自立平山化四十有六
  年僧臘六十九世壽七
  十有五萬延元年庚申
  冬十二月廿五日示寂塔
  穪大器
     (本文は130字。題字が3字。計133字。)
【書き下し文】
   大器塔
  四十二世師、諱は禪最、号は勝道、姓は黒木氏、星倉の産なり。
  七歳にして母を失ひ、誘慕して佛を志す。
  誕生会に能禪師を見、清く弟子と為らんとす。
  能(禪師)、諾して曰はく、「好箇の頑童、頗る禪機を具へり。」と。
  師に就き、首髪を剃度するは、十九歳の春、閏一月。
  袱子を荷擔して、驀ち豐嶺に攀り、錫を两鼎山に掛け、安居すること十霜。
  一たび帰省して遂に海洲(禪師)に呑畫す。
  (太)平山に自立し化すること四十有六年、僧臘六十九、世壽七十有五にして、
  萬延元年庚申冬十二月廿五日、示寂す。
  塔は大器と穪す。

【語釈】
・星倉=日南市にある地名。
・誘慕=心がひかれる。
・好箇=好個=ほどよい。ちょうどよい。適当な。
・頑童=物の道理のわからないこども。
・剃度=剃髪得度の略。髪をそり落とし、仏門に入る。出家する。
・荷擔=肩にになう。
・袱子=ふくさ。ふろしき。
・驀=のる。のりこえる。たちまち。きゅうに。まっしぐら。
・攀=よじる。よじのぼる。すがる。ひく。。
・豐嶺=南豊山承国寺か。鵜沼近くにあった臨済宗の大寺。
・安居=個々に活動していた僧侶たちが、一定期間、一カ所に集まって集団で修行すること。
    及び、その期間の事を指す。
・僧臘=法臘に同じ。僧侶の出家してからの年数のこと。
・世壽=生まれてから死ぬまでの年齢。
・萬延元年=西暦1860年。
・示寂=菩薩や高僧が死ぬこと。入寂。
・塔=日本語の「塔」の語源はサンスクリット(梵語)の ストゥーパ(漢語:卒塔婆)であるとされる。
・大器=すぐれた才能・度量。またその人。偉大な器物。宝物。転じて天子の位・国家政権など。天。

○大器塔は、日向安国寺四十二世住持、大器和尚のものであるようである。和尚が亡くなったのが萬延元年(西暦1860年)とあるから、廃仏毀釈に遭う八年前に過ぎない。

○日向安国寺墓地跡は、日南郷土史会に拠って、平成十五年に整備されたことが案内板に拠って判る。その時、石塔をきれいに掃除し、識字されたのであろう。碑面は比較的きれいであった。