青井岳 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

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○青井岳は都城市と宮崎市の境に聳える山。標高は563メートル。日豊本線に青井岳駅がある。その北側に位置する山である。

○天保14年(1843年)に刊行された「三国名勝図会」に、以下の記録がある。
  「三国名勝図会」巻五十七、
  日向國諸縣郡
  山之口【本府より東北の方、十九里餘に在り。當邑は三俣院の内なり。地頭館、山之口村にあり。】
    山水
  青井嶽【地頭館より寅方、二里】
   山之口村にあり、元禄の比、大玄公、これに登臨し玉ふ。其の時今に御茶屋の場と呼ぶ。此の嶽は
  日州の海邊より数十里の外、豊の後州の洋中に至て猶望むべし。以て船行の標識となす。

○また、明治4年(1871年)に刊行された「薩隅日地理纂考」は次のように記す。
  「薩隅日地理纂考」巻二十六
  日向國諸縣郡
  山之口郷山之口村
  障泥(あをり)岳
   山之口村より三里飫肥の境飛松に越る山中なり。深山幽谷を歴て此の岳に至り始めて虚空を見る。
  此の絶頂より望めば東海は云ふも更なり、日向宮崎佐土原那珂郡等の地一望の中にあり。故に此の岳
  を以て東海行舟の標識となす。双方の登路半里餘にして甚だ急峻なり。此に至りて誰も喘ぎ登らざる
  は無し。故に障泥(あをり)岳の名あり。

○身近な山であるから、何時でも登れると思いながら、まだ登ったことの無い山である。今年の冬くらい登ってみたい。青井岳の近隣には、去飛(さるとび)とか、無頭子(むとし)とか面白い地名も存在する。また、田野町七野から天神、無頭子を経て、長野へ抜ける山道も一回は踏破してみたい山道である。

○かつては島津藩と飫肥藩の境がこの辺りであった。だから川の名も境川となっている。

○先日、境川沿いにある青井岳温泉に浸かってきた。その際、天神ダムから青井岳が綺麗に眺望された。登山道は青井岳駅方面から、永野から、高城七瀬谷から、去飛からと四方面からあるらしいが、最も利用されているのは去飛かららしい。

○この付近で最も高い山は鰐塚山(1118叩砲如他にも天神山(911叩砲篥豎戞複牽坑賢叩砲覆匹あるのに、なぜか青井岳(563叩砲最もよく知られている。気になる山である。