「三国志・魏書・烏丸鮮卑東夷傳第三十」を読む① | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

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○本ブログでは、前に「魏志倭人伝を読む」と題して、「三国志」の『魏書』の中の『烏丸鮮卑東夷傳第三十』の中の、『倭人傳』を読んでいる。いわゆる「魏志倭人伝」と言うのは、俗称に過ぎず、正確には、「三国志」と言う書物(全65巻)の中の、『魏書』(全30巻)の中の、『烏丸鮮卑東夷傳第三十』(全1巻)の中の、『東夷伝』の中の、「夫余・高句麗・東沃沮・挹婁・濊・韓・倭」の一つが『倭伝』であり、それがいわゆる「魏志倭人伝」になる。

○しかし、「三国志」全体を通読しない限り、「三国志」そのものがどういう書物であるかを理解することは難しい。本ブログでも、出来れば「三国志」全体を紹介したいところだが、それは到底無理な話なので、せめて『魏書』の中の『烏丸鮮卑東夷傳第三十』だけでも提示したい。

○なぜなら、いわゆる「魏志倭人伝」と言うのが含まれる巻が『烏丸鮮卑東夷傳第三十』であるからだ。「三国志」全体は無理でも、『烏丸鮮卑東夷傳第三十』全体から、いわゆる「魏志倭人伝」を眺めることが出来るだけでも、「魏志倭人伝」がどういう性格の書物であるかが、随分明らかになるからである。山全体を見ることは出来なくても、せめて森全体から木を見たい。そうすれば、その木がどういう所に生えていて、どういう性格の木であるかが、少しは見えてくるのではないだろうか。

○「三国志」の構成は、全65巻[魏書30巻・蜀書15巻・呉書20巻]となっている。その『魏書』の最後に来るのが『烏丸鮮卑東夷傳第三十』になる。また、普通、日本で「魏志倭人伝」と称されるものは、『烏丸鮮卑東夷傳第三十』の中の最後『東夷伝』の中の、又、最後になる、わずか「1984字」に過ぎない。

○「魏志倭人伝」の本文は、わずか「1984字」に過ぎない。この、わずか「1984字」に日本人は翻弄され続けている。それは単に「魏志倭人伝」を読み解くことが出来ないに過ぎない。それまで全く中国の史書など読んだことの無い人々が、「魏志倭人伝」だけを読んで、いくらあれこれ考えてみたところで、邪馬台国の所在地を突きとめることが出来るはずなどない。中国の史書には一種独特の読み方が存在し、それを理解していない限り、中国の史書は誰にも読み解くことは出来ない。

○ある意味、満足に「三国志」も読まないで、邪馬台国や卑弥呼に言及する人々は詐欺師に近い。なぜなら、邪馬台国も卑弥呼も「三国志」に登場する国であり、人物でしかない。その肝心かなめの「三国志」を抜きにして、邪馬台国が畿内に存在するとか、北九州にあるとか語ること自体が、本来全く無意味な話なのである。満足に「三国志」も読んでいないのに、邪馬台国や卑弥呼について語ることなど、詐欺師以外、誰にも出来ない。なぜなら、邪馬台国も卑弥呼も「三国志」の中の国であり、人物だからである。

○おまけに、考古学者なる人々が、あたかも邪馬台国を発見・発掘したかのような言動をして止まない。
特に、近年、邪馬台国論争の主役は、まるっきり考古学者であって、卑弥呼の鏡とか邪馬台国の遺物なるものが畿内からも北九州からも続々と出土している。まるで日本中に邪馬台国は拡大してしまったような感じである。

○仮に、或るところから三世紀のものが出土しても、それは全く邪馬台国とも卑弥呼とも関係しているかどうか分からないものに過ぎない。それなのに、三世紀の遺跡・遺物であれば、すべてが邪馬台国のものであり、卑弥呼と関係するものであるかのように喧伝するのは明らかに詐称であり、詭弁である。少なくとも真面目な学者の言うことではないだろう。

○例えば、司馬遷の「史記」と言えば誰でも知っている。しかし、司馬遷の「史記」をちゃんと読んだ人が日本にどれだけいるだろうか。全部でなくても良い。司馬遷の「史記」の中で最も著名なのは、多分、『項羽本紀』であろう。その『項羽本紀』をちゃんと読んだ人は果たしてどれだけいるだろう。誰もが読んだことの無い史記を語り、項羽を褒め称えている。

○司馬遷の「史記」の中の項羽は、単なる英雄ではない。司馬遷は項羽を一人の人間、一介の男として捉え、丸裸にしている。「項羽本紀」の中で、項羽は始終、周囲に振り回され、ただオロオロするばかりで、無口で、決断力に劣る若者として描かれていることに誰も注目しない。項羽のライバルである劉邦にしたところで、項羽にこてんぱんにやられているばかりで、全く良いところはない。「史記」を読む限り、劉邦は偶然に、項羽に勝利した幸運の持ち主に過ぎない。

○その『項羽本紀』本文は、全6996字で表記されている。これが何を意味するかも考えないような人には、おそらく『項羽本紀』を理解することは出来ないだろう。著者司馬遷のメッセージがここにもしっかり込められているのである。そういうふうに中国の史書には一種独特の読み方が存在する。その点について、歴史家宮崎市定は次のように記している。

   このように『史記』においては何よりも、本文の意味の解明を先立てなければならないが、これは
  古典の場合已むを得ない。古典の解釈は多かれ少なかれ謎解きであって、正に著者との間の知恵比べ
  である。そしてこの謎解きに失敗すれば、すっかり著者に馬鹿にされて了って、本文はまっとうな意
  味を伝えてくれないのである。(「宮崎市定全集」第5巻『自跋』)

○「三国志」は名著である。撰者である陳寿は極めて優れた歴史家である。それなのに、「魏志倭人伝」は、何か途方もない愚作でもあるかのような扱いを日本では受けている。それは単に日本人が愚物であるに過ぎない。撰者には一切責任はない。あるとすれば、それは全て読み手の方である。そんな謙虚な気持ちで「三国志」を読まない限り、「三国志」の真意は見えてこないに違いない。

○次回から、「三国志」、『魏書』、『烏丸鮮卑東夷傳第三十』を読み進めたい。