神代三山陵の研究⑨ | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

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◯前回は、霧島山高千穂峯について考察を加えたが、ここでは、もう一つの天孫降臨の地の候補地である、宮崎県西臼杵郡高千穂町について、考察してみたい。

◯高千穂町は宮崎県の北部の山あいの町である。「神話のふるさと」「神話と伝説のまち」のキャッチフレーズで知られる観光地となっている。

◯観光の目玉として、高千穂峡・高千穂神社・天岩戸神社・国見ケ丘などがある。冬になると、各地で夜神楽が舞われる。

◯まず、高千穂神社。高千穂町三田井に存在。もともとは十社大明神と言う。「続日本後紀」(869年成立)には高智保皇神の名があるという。大神氏によって、天慶年間に、高千穂18郷88社の総社になり、以来、地域の尊崇を受けてきた。五ヶ瀬川沿いの小高い丘の上に鎮座。すぐ下に、高千穂峡がある。

●高千穂神社は、もとは、十社大明神であると言う。十社大明神とは、 三毛入野命・鵜目姫命・大郎命・二郎命・三郎命・畝見命・照野命・大戸命・霊社命・浅良部命を指すと言う。ここには、瓊々杵尊の名はない。天孫降臨を祝祭する神社であれば、瓊々杵尊以外を祭る必要などないのではないか。多くの神社がそうであるように、ここも後から瓊々杵尊は祭られるようになったように思われる。

●もし、ここが天孫降臨の山であり、それを記念するものであれば、当然、ここが天孫降臨の地と言うことになる。では、どこに降臨したのであろうか。その場所を顕彰するものが存在するはずであるが、それが何もないと言うのはおかしい。

◯次に天岩戸神社。高千穂町の中心三田井から5劼曚彬姪譴卜イ譴森眄虔翊岩戸に存在。祭神は天照大神。付近には、天岩戸の洞窟、天浮橋、天香山、天安河原などが存在。高千穂神社と同じく、大神氏によって、再興されたと言う。

●天岩戸神社には、「天」と言う文字が付いている。従って、天上界に存在したのが天岩戸神社ではないか。それが地上に存在すること自体がおかしい。「古事記」や「日本書紀」に、地上世界ではないと明記されているものが、地上に存在すること自体がよく分からない。

●奇岩や大きな洞窟などが祭られていることは、普通にあることである。だから、岩戸神社が存在すること自体は、極めて自然である。ここも、岩戸神社であれば、何の不思議もない。また、天照大神は太陽神信仰に基づくものである。天照大神を祭るのであれば、そう言う由緒が一つくらいあってよさそうな気がしてならない。

◯第三に、槵觸神社。高千穂町三田井に存在。高千穂神社とは、1、5劼曚匹竜?ァちょうど、高千穂の町の北に槵觸神社。南に高千穂神社が鎮座している位置関係になる。槵觸神社は80辰曚匹両高い丘の中腹に鎮座している。この丘は、古祖母山(1633叩砲ら南に延びる尾根の末端に位置する。従って、もとは古祖母山信仰の里宮であるのかも知れない。

●槵觸神社は、槵觸岳に由来する神社と言うことになる。それにしては、槵觸神社が鎮座する山は80辰らいしかないから、ちょっと寂しい。しかし、ここを里宮とし、古祖母山を奥宮と考えれば、納得出来る。

●そう考えると、この臼杵地方の高智保皇神は、祖母嶽信仰から派生したものではないかと思われてならない。古祖母山と高千穂郷の位置関係からも、それは納得されることである。

○加えて、ここには二上山が存在することも気になる。二上山は高千穂町と五ヶ瀬町の境に屹立する山で、五ヶ瀬町側には三ケ所神社を祭り、高千穂町側には二上神社を祭っている。この両者の間には、どちらに神社を祭るかで、過去相当の争いがあったらしい。現在、立派に祭っているのは、どうも三ケ所神社の方であるように見える。高千穂の二上神社はかなり荒れていた。その分、自然が残っていて、私が訪れた時は、オミナエシの群生がすばらしかった。

○しかし、問題は、槵觸岳とは別に、二上山が存在することである。前々回、「神代三山陵の研究А廚膿┐譴燭、「古事記」「日本書紀」の記録によれば、どう考えても、槵觸岳と二上山は同一の山である。同じ山の異称が槵觸岳であり、二上山であることになる。天孫降臨の山である。この高千穂では、天孫は二カ所に降臨したことになるから、どう考えても、それはおかしい。

○このように、宮崎県高千穂町の天孫降臨伝承の地を廻ると、どう考えても、天孫降臨に地にふさわしいところにたどり着くことが出来ない。このことは、すでに、宮崎康平が「まぼろしの邪馬台国」(1967年・講談社刊)で、述べている。

○次回、よくやく瓊々杵尊の御陵、可愛山陵について、述べることになる。