福禄寿 | 古代文化研究所:第2室

古代文化研究所:第2室

ブログ「古代文化研究所」で、書き切れなかったものを書き継いでいます。

◯都七福神のホームページでは、次の順序で、七福神を案内している。 

  ①京都ゑびす神社   ②松ヶ崎大黒天(妙円寺)   ③東寺(教王護国寺)
  ④六波羅蜜寺   ⑤赤山禅院   ⑥革堂(行願寺)   ⑦黄檗山萬福寺

◯ここまで、ブログ『えびす神の故地』、『大黒天信仰』、『毘沙門天』、『弁才天・弁財天』と続けている。したがって今回は『福禄寿』になる。都七福神参りでは赤山禅院と言うことになる。

◯『福禄寿』ほど、判り難い神様も珍しい。諸説あって、どれを採用するか迷う。もっとも、赤山禅院なら、泰山府君と言うことになるのだろう。コトバンクに、次のようにある。

      泰山府君

中国、山東省の東岳泰山の神に対する古称。漢代では地方州郡の太守を府君と敬称したから、泰山太守閣下の意。俗説では、この神は人間の生死、寿命、官位および死後の審判をつかさどり、生前に罪を犯した者はその魂を拘引し、地底の獄に投じて懲罰すると考えられたから、仏教の閻魔(えんま)王に相当する冥府(めいふ)の神である。日本にも入唐(にっとう)僧の慈覚(じかく)大師円仁(えんにん)(794―864)によって比叡山(ひえいざん)に勧請(かんじょう)せられ、延命をつかさどる守護神、福徳神として祀(まつ)られた。しかし中国では、泰山が五岳の第一として歴代王朝の尊崇を受け、神も東岳天斉大生仁聖帝(てんせいだいせいじんせいてい)に封ぜられ、世間にも東岳大帝とよばれるに及んで、地域の限られた泰山府君の古称は消え、わずかに晋(しん)・唐時代の古伝説にその名をとどめるに至った。

 

◯一般的な意味では、ウィキペディアフリー百科事典の福禄寿項目が参考になる。

      福禄寿

福禄寿(ふくろくじゅ)は、七福神の一つ。 福禄人(ふくろくじん)ともいわれる。

道教で強く希求される3種の願い、すなわち幸福(現代日本語でいう漠然とした幸福全般のことではなく血のつながった実の子に恵まれること)、封禄(財産のこと)、長寿(単なる長生きではなく健康を伴う長寿)の三徳を具現化したものである。道士天南星の化身や、南極星の化身(南極老人)とされ、七福神の寿老人と同体異名の神とされることもある。

容姿としては、背が低く長頭で長い髭をはやし、杖に経巻を結び、鶴を伴っている姿とされる。

中国では、鹿を伴うことによって、寿を象徴する三体一組の神像や、コウモリ・鶴・によって寿を具現化した一幅の絵などが作られ広く用いられた。

 

◯コトバンクの福禄寿項目も、参考になる。

      福禄寿

七福神の一つ。福禄人ともいう。幸福と封禄と長寿を兼ね備えるという中国の福神。短身長頭で経巻を結んだ杖(つえ)を持つ姿に表現される。南極星の化身という説もあり、また寿老人と混同されることもままある。日本に導入されたのは、おもに禅宗流布と関連する水墨画題材としてであり、やがて七福神の一つに数えられるに至ったが、独自の福神としては一般の信仰対象にならなかった。          [竹内利美]

 

◯ここにある通り、福禄寿を祀る寺社がそれ程存在するわけでもない。ある意味、赤山禅院が珍しいのではないか。ただ、赤山禅院の福禄寿信仰は、円仁の所縁のものであって、福禄寿信仰としては、特殊なものと言わざるを得ない。

◯いずれにせよ、福禄寿信仰が道教のものであることだけは、間違いない。この意義は大きい。ちなみに、当古代文化研究所は、中国道教に関心があって、多くの道観へお参りして来ている。また、多くの福地も訪れている。

◯その関係で、中国五岳、

  東岳泰山(山東省泰安市泰山区)

  南岳衡山(湖南省衡陽市南嶽区)

  中岳嵩山(河南省鄭州市登封市)

  西岳華山(陝西省渭南市華陰市)

  北岳恒山(山西省大同市渾源県)

の全てに、参詣済みである。

◯併せて、老子故里とされる、河南省周口市鹿邑县太清宫镇にも訪れている。

  ・テーマ「老子故里」:23個のブログ

 

◯同様に、荘子の故郷や墓にもお参りを済ませている。

  ・テーマ「荘子の故郷:商丘」:24個のブログ

 

◯それでも、なかなか道教は奥が深い。もともと、道教は、中国土着の宗教なのである。各地にそれぞれの福地が存在する。ある意味、福地の数だけ、道教は存在するのかも知れない。

◯ただ、中国道教を追い続けると、湖南省、湖北省に達する。この辺りに、道教の起源はあったのではないか。当古代文化研究所では、勝手に、そう判断している。