松ケ崎大黒天 | 古代文化研究所:第2室

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ブログ「古代文化研究所」で、書き切れなかったものを書き継いでいます。

◯2023年1月30日、京都定期観光バス『都七福神めぐり』に乗って、『都七福神まいり』をした。朝9時40分に、京都駅前の定期観光バス乗り場から出発した。バスは満員だった。この『都七福神まいり』は、余程、人気があるらしい。

◯予定時間は、7時間半から8時間とあった。したがって、丸一日を要することになる。それでも、一日で、全部を廻ることが出来るし、何より、新年の始めと言うのが良いらしい。

◯バスは定刻に出発し、最初に向かうのが『松ケ崎大黒天』だと言うことであった。インターネット検索すると、次のホームページがヒットした。

      松ケ崎大黒天

京都洛内北の奥地、五山送り火「法」の山の中腹にある日蓮宗寺院です。風光明媚な場所にあり、四季折々の景色を楽しめます。

また地域住民・遠近各地のご信者から親しまれている開運招福の「大黒さま」が有名で、通称「松ケ崎の大黒さん」とも呼ばれております。

当山では、御朱印をはじめ、ご祈祷·水子供養·永代供養墓·仏前結婚式などのご相談を承ります。ご参拝をお待ちしています。

【大黒天について】

七福神の一神に数えられる大黒天はインドの神様です。インドから中国、そして日本へと伝来してきました。仏教の大黒天 ( 摩訶迦羅 ) のご本体は久遠 ( 永遠なるもの ) のお釈迦様の変わられたお姿とも云われております。

黒色で恐ろしく険しい姿であったのが、鎌倉期の頃より大国主命と結びつき、私たちがよく知る、福相に左手に袋、右手に槌、米俵に乗られたお姿となり、えびす神と共に知れわたりました。

日蓮宗の宗祖、日蓮大聖人もあつく信仰され、大黒天に関する論述も残されました。

大黒天神法には、「もし安置し供養せば、千人の人を養い厨房を潤す。もし三年専心に供養せば、必ず富貴・官位・福禄を授与す。必ず自然に栄え、楽しみが倍増して四季に美しい味の食を備える」と。その誓願を慈眼視衆生 福寿海無量 ( 慈眼をもって衆生を視る 福寿の海無量なり ) と云い、戦・商売 ( 貿易 )・富貴・堂屋・食物を守護される神様であり、また 身も心も貧しき人に福を与え、皆令離苦 得安穏楽 ( 一切の人をして苦を離れしめ 安穏の楽しみを与える ) でもある、「寿福円満 開運招福」の福の神であります。

 

◯何とも丁寧な案内である。バスから降りて歩いて行く参道には、鳥居があった。どうやら、白雲稲荷神社の参道であるみたいだった。神社前から左に折れると、松崎山妙円寺だった。ちょうど、宝が池公園の下に位置する。電車だったら、修学院駅になるのではないか。

◯バスからガイドさんが案内してくれるし、丁寧な説明まであるので、非常に重宝である。お陰で、大いに勉強することができた。

◯『松ケ崎大黒天』のホームページには、妙円寺について、次のように載せる。

      寺院縁起

霊峰比叡山の西南、松ヶ崎山の麓に位置する松崎山 妙円寺( 松ヶ崎大黒天 ) は、約 400 年前の江戸初期の元和 2 年 ( 1616 ) 、本覚院日英上人の開基・開創による日蓮宗寺院であります。

永仁 2 年 ( 1294 ) 日蓮聖人の法孫 ( ほうそん )、日像 ( にちぞう ) 上人によって法華経がひろめられ、徳治元年 ( 1306 ) に松ヶ崎全村が日蓮宗に改宗したという法華信仰の流れがあり、「松ヶ崎法華」とまで云われるようになりました。また教蔵院日生上人によって創立された、「根本の檀林」と云われる本涌寺「松ヶ崎檀林 ( 僧侶の学校 ) 」がこの近くに位置し、その本涌寺の能化 ( 教師 ) であった日英上人が建てた隠居所が当山の始まりです。

当山の大黒堂に安置されている大黒天は、京都七福神の第一番の霊場として知られており、ご本尊の威徳を慕う信者は全国各地、多数におよびます。

 

◯もともと比叡山延暦寺は天台宗であって、その開祖、智顗が信奉したのが法華経だったのだから、この地に、日蓮宗寺院が存在することはもっともなことである。意外と、比叡山延暦寺の開祖、最澄が大黒天を信奉したことは、よく知られている。

◯したがって、比叡山の麓である、此処、松ケ崎に大黒天が祀られていることは、自然な話である。ただ、大黒天は此処だけのものでは無いことも確かな話である。