大徳寺参詣を終えて | 古代文化研究所:第2室

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ブログ「古代文化研究所」で、書き切れなかったものを書き継いでいます。

◯これまで、大徳寺には2022年2月3日にお参りし、2022年5月6日に書いたブログ『上賀茂神社から大徳寺へ』から、5月23日に書いたブログ『利休宗易遺偈:解題』まで、全部で、17個ものブログをものしている。

  ・テーマ「京都ぶらり旅」:ブログ『上賀茂神社から大徳寺へ』

 

  ・テーマ「京都ぶらり旅」:ブログ『利休宗易遺偈:解題』

 

◯今回の「第57回 京の冬の旅」での大徳寺参詣は2023年1月29日のことだった。ブログには2024年5月22日にブログ『京都駅から大徳寺まで』を書き、今日6月13日のブログ『大徳寺参詣を終えて』までで、19個ものブログをものしたことになる。

  ・テーマ「京都奈良大阪を歩く」:ブログ『京都駅から大徳寺まで』

 

  ・テーマ「京都奈良大阪を歩く」:ブログ『大徳寺参詣を終えて』

 

◯全部で、36個ものブログを書いたことになる。以前から大徳寺は気にはなっていた寺だったが、やっとお参りできたことが嬉しい。まだまだ気になることや書き足りないことが多々あるが、これ以上の深入りは避けたい。

◯当古代文化研究所は、敬虔な仏教徒ではあるが、浄土真宗西本願寺派の門徒である。その浄土真宗は親鸞聖人から始まっている。親鸞聖人は比叡山で修行し、法然上人に仕え、浄土真宗を起こしたとされる。

◯もともと比叡山は天台宗の聖地である。天台宗は基本、法華経を中心に、天台大師智顗が開祖したものとされる。第3代天台座主である慈覚大師円仁が唐へ留学し、五台山へ登らなかったら、おそらく、日本の浄土教は別物になっていたに違いない。

◯もっとも、浄土真宗では七高僧は取り上げるが、不思議に、慈覚大師円仁を取り上げることはない。源信や源空の前に円仁があることは間違いない。その円仁が比叡山で居住したのが横川とされる。

◯そういう比叡山や高野山が新興宗教であったのは、九世紀初頭である。最澄や空海が唐を訪れた時、すでに、中国では禅宗が盛んになりつつあった。しかし、最澄も空海も、そういう新しい仏教に関心を示そうとしない。

◯まだ、日本には、そういう禅宗を受容するだけの境地が開けていなかったとみるしかない。年代的には空海(774〜835)、最澄(766〜822)、円仁(794〜864)と、それ程離れているわけも無いのに。

◯その禅宗が日本へもたらされたのは、十二世紀になってからのこととされる。その前にもたらされはしたが、流行らなかった。栄西(1141〜1215)禅師まで待たなくてはならない。

◯もっとも、現在の日本臨済宗は「応灯関」と称し、南浦紹明(大応国師)から宗峰妙超(大灯国師)を経て関山慧玄へ続く法系が残っているだけである。その宗峰妙超が開山となっているのが大徳寺なのである。

◯現在、中国を訪れると判るのだが、中国のお寺は全て禅宗である。さすが、革命の国だけあって、何とも恐ろしい。いまだに、奈良仏教が健在な日本とは、雲泥の差がある。日本仏教には進歩と言うものは、存在しないのだろうか。

◯ちなみに、当古代文化研究所は、中国五山の全てに参詣済みである。

    班位  位 次   寺 名   寺号・具名       位置 状態
    五山  第1位    径山寺   径山興聖万寿禅寺    杭州余杭 現存
    五山  第2位    霊隠寺   北山景徳霊隠禅寺    杭州 現存
    五山  第3位    天童寺   太白山天童景徳禅寺   寧波 現存
    五山  第4位    浄慈寺   南山浄慈報恩光孝禅寺  杭州 現存
    五山  第5位    阿育王寺  阿育王山広利禅寺    寧波 現存

◯別に、中国には、中国四大仏教名山と言うのが存在する。

      中国四大仏教名山

中国四大仏教名山(ちゅうごく しだい ぶっきょう めいざん)は、中国で用いられる、四ヶ所の著名な仏教名山・霊山・聖山に対する呼び名である。

  ・山西省五台県五台山 - 文殊菩薩霊場世界遺産

  ・四川省楽山市峨眉山 - 普賢菩薩の霊場(世界遺産)

  ・安徽省池州市九華山 - 地蔵菩薩の霊場(世界ジオパーク

  ・浙江省舟山市普陀山 - 観音菩薩の霊場

◯当古代文化研究所では、この中国四大仏教名山にも、全て、参拝を済ませている。