大徳寺芳春院 | 古代文化研究所:第2室

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ブログ「古代文化研究所」で、書き切れなかったものを書き継いでいます。

◯2023年1月29日、午後1時から、ようやく、「ガイドと歩く冬の旅ウオーキングツアー:大徳寺:三玄院・総見院・芳春院」が始まった。最初に三玄院を訪れ、次が総見院だった。その『大徳寺:総見院』がいろいろと気になって、ブログ『大徳寺総見院』、『総見院のワビスケ』、『総見院の茶室』と三つも書く羽目になってしまった。

◯今回の「第57回 京の冬の旅」で、大徳寺の特別公開の塔頭は、三玄院・総見院・芳春院の三院だった。芳春院を訪れる前に、高桐院の門前で、高桐院の案内もあった。事前に、高桐院は見ていたが、専門のガイドの話を聞きながらの見学は、また良いものだった。

◯最後に訪れたのが芳春院である。大徳寺の中でも、最も奥まったところに存在する塔頭だった。ウィキペディアフリー百科事典が案内する芳春院は、次の通り。

      芳春院(京都市)

芳春院(ほうしゅんいん)は、京都府京都市北区紫野にある臨済宗大徳寺派の寺院。同派大本山大徳寺塔頭である。大徳寺の塔頭の中では最も北に位置する。通常は公開されていない。

慶長13年(1608年)に玉室宗珀(ぎょくしつそうはく)を開祖として加賀藩前田家の祖・前田利家の夫人・松子(まつ、芳春院)が建立。法号をとって芳春院と名付け、前田家の菩提寺とした。寛政8年(1796年)の火災により創建当時の建物が焼失するが、2年後に前田家11代の前田治脩によって再興された。明治期には廃仏毀釈の嵐の中で荒廃するが、明治8年(1875年)になってようやく復興される。前田家の他には近衛家醍醐家青山家などの霊牌も祀っている。

 

◯芳春院は、庭と茶室で有名らしい。落ち着いた雰囲気のある塔頭だった。有名なだけあって、庭が素晴らしかった。手入れの仕方が半端では無い。まさに、庭の隅から隅まで、丁寧に造作されていることがよく分かる。

◯できれば、写真が欲しいところだが、境内は撮影禁止だった。門前の写真しかない。