「大和三山・醍醐山参詣旅」 を終えて | 古代文化研究所:第2室

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ブログ「古代文化研究所」で、書き切れなかったものを書き継いでいます。

◯当古代文化研究所では、2022年から23年に掛けて、都合、六回、京都・奈良・大阪へ出掛けている。整理すると、次のようになる。

  ①「京都ぶらり旅」  2022年2月1日から4日

  ②「仁和寺にある法師」旅  2022年10月30日から11月2日

  ③「貫之墓と芭蕉墓参旅」  2022年11月28日から12月1日

  ④「大和三山・醍醐山参詣旅」  2022年12月18日から21日

  ⑤「第57回 京の冬の旅」  2023年1月29日から2月1日

  ⑥「熊野三山・飛鳥・葛城山」旅  2023年5月11日から16日

◯よくもこれだけ出掛けたものである。それもこれも、この時期、コロナ禍で、世界中大変だった。ようやく、コロナが落ち着き始めた時、旅行の割引が始まった。何しろ、旅行代金が半額になると言う優れものである。

◯こういう時に、それを利用しない手は無い。ちょうど、中国にも行けない時期だった。それで、前々から気になっていた京都・奈良を中心に出掛けた。飛行機代もホテルも半額だと言うのだから、何とも有り難い。それで、結局、六回も出掛けた。

◯出掛けたのは良いが、なかなかブログが追いつかない。今日は2024年5月19日である。それなのに、2022年12月のブログを書いているのだから、始末に終えない。今日、ブログ『「大和三山・醍醐山参詣旅」を終えて』で、やっと2022年のブログが終わって、2023年のブログになる。 

◯大和三山へ登ったのは、今回で八回目になる。

  第一回  1992年3月28日
  第二回  2003年8月11日
  第三回  2005年5月10日
  第四回  2009年3月29日
  第五回  2010年4月3日
  第六回  2011年5月3日

  第七回  2017年9月5日

  第八回  2022年12月19日

◯最初に大和三山に登ったのは1992年だから、もう30年も昔の話になる。なかなか大和三山を知る人も少ない。次の山々を大和三山と称する。

  畝傍山(199.2m)
  香具山(152.4m)
  耳成山(139.7m)

◯大和三山は大和国を象徴する山々であることは、間違いない。だから、「大和三山」と称する。そういうことを誰も指摘しない。それもそのはずで、大和三山の実物は、何とも小さい。とても、「大和三山」と呼び称する代物ではない。

◯それなのに、どうして、古代人はこれらの山々に「大和三山」と命名したのか。実に不思議な話である。と言うのも、当古代文化研究所が大和三山を知ったのは「万葉集」を通じてである。私見によれば、「万葉集」には香具山が十四回、畝傍山が六回、耳成山が三回記録されている。

◯ただ、現代、なかなか真面目に「万葉集」を読む人自体が少ない。まして、大和三山など、真面目に考える人は居ない。第一、文化庁の「国指定文化財等データベース」が、大和三山を、次のように解説しているのに、驚く。

      史跡名勝天然記念物

      名勝

      大和三山

大和三山は奈良盆地の南部に位置し、香具山(152.4m)、畝傍山(199.2m)、耳成山(139.7m)の3つの独立小丘陵から成る。香具山は多武峰から北西に延びる支稜線が浸食により切り離され、独立丘陵として残存したもので、畝傍山と耳成山はそれぞれ沖積盆地底に位置する円錐形のいわゆる死火山である。

◯すでに、文化庁自体がこのように間違って解説しているのだから、驚き、呆れる。いくら何でも、それはない。大和三山は、

  香具山(152.4m)

  畝傍山(199.2m)

  耳成山(139.7m)

とは案内しない。古来、

  畝傍山(199.2m)
  香具山(152.4m)
  耳成山(139.7m)

と決まっている。それを、わざわざ、このように改めたのには、相当な理由根拠があるのだろう。

◯しかし、いくら、文化庁が頑張ったところで、それは無理と言うものである。日本で、畝傍山よりも崇高な山は、存在しない。何故なら、畝傍山は天孫降臨の世界山なのだから。日本の始まりが畝傍山なのだから。

◯当古代文化研究所では、そういう研究をしている。記紀が記す天孫降臨の世界山の全記録は、次のようになる。

  「古事記」 竺紫日向之高千穂之久士布流多気(つくしのひむかのたかちほのくじふるたけ)
  「日本書紀」本文 日向襲之高千穂峯(ひむかのそのたかちほのたけ)
              槵日二上天浮橋(くしひのふたがみのあまのうきはし)
    一書 筑紫の日向の高千穂の槵觸之峯(つくしのひむかのたかちほのくじふるのたけ)
    一書 日向の槵日の高千穂之峯(ひむかのくしひのたかちほのたけ)
    一書 日向襲之高千穂槵日二上峯天浮橋

           (ひむかのそのたかちほのくしひのふたがみのたけのあまのうきはし)
    一書 日向の襲の高千穂の添山峯(ひむかのそのたかちほのそほりのやまのたけ)

◯この記録の全てを充足する山が天孫降臨の世界山なのである。そんな山は、世界中に一つしか無い。それが霧島山高千穂峰になる。もともと大和地名も、日向国のものである。その日向国の大和地名を冠した山が、次の山々になる。

  ・うねびやま=霧島山(1700m)
  ・かぐやま=桜島山(1111m)
  ・みみなしやま=開聞岳(924m)

◯もっとも、大和三山が二つも存在しては、何とも紛らわしい。それで、当古代文化研究所は、本物の大和三山を邪馬台国三山と命名している。それが上記の山々である。

◯だから、天孫降臨の世界山は、「うねびやま=霧島山(1700m)」であることが判る。日本で、天孫降臨の世界山以上の山は存在しない。それが大和三山の筆頭に畝傍山が来る理由である。それが香久山であることは、考えられない。

◯多くの資料が文化庁の判断に改められている。そんなおかしな話は無い。文化庁に文化が無いことがはっきりする。何とも不幸な話である。今回の「大和三山・醍醐山参詣旅」は、そういうことを検証する旅であったことは言うまでも無い。