◯大覚寺の本堂である五大堂の東側には、広い濡れ縁が設置してあって、観月台と呼ばれる。まず、五大堂にあった案内板から紹介しておきたい。
五大堂
『大覚寺の古文書』の中に、「嵯峨天皇の勅願により嵯峨離宮に
嵯峨五台山明王院五大堂を建立し、弘法大師が入唐した折、
大唐より伝わった五大明王(重要文化財につき、宝物殿に安置)
を奉祀し、弘仁二年(八一一)三月十一日に利民安世、五大明王
秘法を修し給う。たちまち、五風十雨節序にしたがい、百穀豊饒
し、万民其澤に潤う」と、その由来が伝えられています。
現在の建物は、江戸時代の天明年間(一七八一〜八九年)に
再建されたもので、大覚寺の本堂です。本来は境内中央、勅使門
の正面(現在の石舞台)の位置にありましたが、大正十四年(一
九二五年)大正天皇即位式の饗応殿が下賜され御影堂(心経前殿)
として建築されたため、現在地に移築されました。
また、現在お祀りされている本尊は大覚寺創建一一〇〇年を
記念して昭和五十年(一九七五年)に、京都の大仏師松久朋琳と
人間国宝松久宗琳の手で新しく造像されたものです。
近畿三十六不動尊第十三番の霊場として、多くの人々に親しま
れております。
◯五大堂の観月台には、「広沢池」の案内板が設置してあって、それには次のようにあった。
広沢池
庭湖ともいい、日本最古の庭池で、最も古い庭園と言われています。
池には天神島と菊ケ島の二つの島と巨勢金岡が配置したと言われる
庭湖石があります。この二島一石の配置が嵯峨御流いけばなの基盤と
なっています。
遠くの山並みは東山連峰で正面の山は大文字山(如意ケ岳)、左手前
の山は朝原山(遍照寺山)です。
この観月台からの中秋の名月は有名で、松尾芭蕉の、
名月や 池をめぐりて 夜もすがら
と、句にも詠まれています。
また、左手奥には多宝塔や藤原公任が詠んだ、
滝の音は 絶えて久しく なりぬれど
名こそ流れて なほ聞こえけれ
の名古曽の滝の石組み跡があります。
また、平安時代から鎌倉時代にかけての石仏(野仏)が見られ、
名勝に指定されています。
◯古いお寺だけあって、多くの伝説や伝承に彩られているのが嵯峨野の大覚寺である。特に、この五大堂、観月台からの眺めは、絶景である。しばらく、時を忘れて、眺めを楽しんだ。