大覚寺:五大堂(本堂) | 古代文化研究所:第2室

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◯2022年12月21日、大覚寺を訪れ、ブログ『大覚寺』、『大覚寺:宸殿』と書き続けているが、今回は『大覚寺:五大堂(本堂)』になる。大覚寺が何とも広大な寺であることが判る。それでも、多くを略しているのだが。

◯大覚寺のホームページが案内する五大堂(本堂)、次の通り。

      五大堂(本堂)

江戸時代中期(天明年間)創建。現在の大覚寺の本堂。不動明王を中心とする五大明王を祀る。大沢池のほとりに位置し、正面中央は板唐戸いたからど、両脇各2間は蔀戸となっている。大沢池に面する東面には池に張り出すように観月台(濡れ縁)があり、大沢池の眺望がすばらしく、大沢池エリアへの共通参拝口もある。

 

◯別に、ウィキペディアフリー百科事典が案内する五大堂(本堂)は、次の通り。

      五大堂(本堂)

五大堂 - 大覚寺の本堂。境内東側に位置する。天明年間(1781年 - 1789年)建立。当初は伽藍の中心部(御影堂前の現在、石舞台がある位置)にあったが、1925年大正14年)に御影堂が移築された際に現在の位置に変更された。元来この堂の本尊であった鎌倉時代作の五大明王像は霊宝館に移され、1975年昭和50年)に、仏師の松久朋琳松久宗琳が完成させた五大明王像を本尊に安置している。堂は写経道場として用いられており、堂の東側の濡れ縁「観月台」から大沢池を望むことができ、ここから大沢池へ移動もできる。

 

◯他にも、御影堂、御霊殿、勅使門など、多くの建物が存在する。しかし、到底、全部を案内することはできない。ただ、正寝殿は非公開ながら、立派で気になった。ホームページには、次のようにある。
      正寝殿
12の部屋をもつ書院造り。南北に3列の部屋が配置され、東列は、「剣璽の間」「御冠の間」「紅葉の間」「竹の間」、中央列は、「雪の間」「鷹の間」、西列は「山水の間」「聖人の間」を並べ、その南と東に狭屋の間を配置する。上段の間は後宇多法皇が院政を執った部屋で、執務の際は御冠を傍らに置いたことから、「御冠の間」と呼ばれている。南北朝媾和会議が、ここで行われたと伝わる。
 
◯ウィキペディアフリー百科事典が案内する正寝殿は、次の通り。
      正寝殿
重要文化財指定名称は「大覚寺客殿(対面所)」。入母屋造、檜皮葺き。桃山時代建立の書院造建築で、内部は大小12の部屋に分かれる。間取りは、東列は北から南へ「剣璽の間」「御冠の間」「紅葉の間」「竹の間」の4室(各8畳)、中央列は北が「雪の間」、南が「鷹の間」(各12畳)、西列は3間×1間半の細長い部屋(9畳)が2室で、北が「山水の間」、南が「賢人の間」である。これら諸室の南側と東側には幅1間の「狭屋」がある。「御冠の間」(「上段の間」ともいう)には玉座があり、後宇多上皇が院政を行った部屋を再現したものである。また、南北朝の講和会議がここで行われたと伝わる。障壁画は狩野山楽および渡辺始興の筆。