大覚寺 | 古代文化研究所:第2室

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ブログ「古代文化研究所」で、書き切れなかったものを書き継いでいます。

◯2022年12月21日に、京都嵯峨野の大覚寺を訪れた。もう覚えてもいないくらい昔に訪れたことがある。多分、20代だったと記憶するから、50年も昔の話である。意外と、ここまで足を伸ばすことは無い。

◯それでも、大覚寺はテレビや映画などでよく目にする。だから、ある意味、懐かしい場所でもある。時代劇で出ても、それ程違和感が無い。それくらい、昔の風景をそのまま現代にまで伝えている。それが大覚寺ではないか。

◯大覚寺のホームページが案内する大覚寺は、次の通り。

      大覚寺とは

   平安のはじめ、嵯峨天皇の離宮として建立されて1200有余年。絶えず歩み

  つづけてきた大覚寺。今日では“華と心経の寺”として親しんでいただいており

  ますが、数々の悲運を乗りこえ、その法灯を守り続けてきました。 今日まで

  の人と歴史の軌跡を辿り、この場でしか語ることができない口伝えを織りま

  ぜながら、ここに記して参ります。

 弘法大師空海を宗祖と仰ぐ真言宗大覚寺派の本山。 正式には旧嵯峨御所大本山大覚寺と称し、嵯峨御所とも呼ばれる。 平安初期、嵯峨天皇が檀林皇后とのご成婚の新室である離宮を建立されたが、これが大覚寺の前身・離宮嵯峨院である。 嵯峨院が大覚寺となったのは、皇孫である恒寂入道親王を開山として開創した貞観18年(876)である。 弘法大師空海のすすめにより嵯峨天皇が浄書された般若心経が勅封(60年に1度の開封)として奉安され、般若心経写経の根本道場として知られる。 明治時代初頭まで、代々天皇もしくは皇統の方が門跡(住職)を務めた格式高い門跡寺院である。いけばな発祥の花の寺でもあり、「いけばな嵯峨御流」の総司所(家元)でもある。時代劇・各種ドラマのロケ地としても有名である。

 

◯別に、ウィキペディアフリー百科事典が案内する大覚寺は、次の通り。

      大覚寺

大覚寺(だいかくじ)は、京都市右京区嵯峨大沢町にある真言宗大覚寺派大本山寺院山号は嵯峨山。本尊不動明王を中心とする五大明王開山恒寂入道親王である。嵯峨天皇離宮を寺に改めた皇室ゆかりの寺院である。また、後宇多法皇がここで院政を行うなど、日本の政治史に深い関わりをもつ寺院である。また、嵯峨天皇を流祖と仰ぐ華道嵯峨御流の総司所(家元)である。

時代劇の撮影所が多い太秦の近くということもあり、寺の境内(大沢池や明智門など)は(特に時代劇の)映画テレビなどの撮影によく使われている(#舞台となった作品)。

 

◯大覚寺は、何とも広大な境内である。ある意味、寺が半分、大沢池が半分と言ったところか。それに、嵐山界隈は、観光客でごった返しているが、さすがに、ここまで来る人は少ない。余程のもの好きである。

◯ただ、本当に、京都の寺社仏閣を堪能したければ、大覚寺から歩くのが一番良い。見所は幾らでもある。それに嵐山まで、大した距離でも無い。当然、今日も嵐山まで歩くつもりである。そうしないと、勿体ない。

◯写真は、バス停から、大覚寺玄関まで。