八坂神社 | 古代文化研究所:第2室

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ブログ「古代文化研究所」で、書き切れなかったものを書き継いでいます。

◯前回、ブログ『祇園』を案内した。その祇園に鎮座まします神社が八坂神社になる。八坂神社のホームページに、『八坂神社について』があって、宮司の挨拶を案内している。

       八坂神社について

       ご挨拶

「祇園さん」として古くより京都の人々に親しまれてきた八坂神社は、本殿(国宝)をはじめ境内外に多数の摂社(せっしゃ)末社(まっしゃ)を有し、その多くが重要文化財に指定されております。

日本三大祭でもあり、世界的にも有名な祇園祭(ぎおんまつり)は疫病(えきびょう)が鎮まるようにとの祈りを込めて約1150年前(平安時代)にはじまった当社の祭礼です。

八坂神社の主祭神・素戔嗚尊(すさのをのみこと)は、往古牛頭天王(ごずてんのう)とも称し、また薬師如来(やくしにょらい)を本地仏(ほんちぶつ)として、人々の疫病消除(しょうじょ)の祈りを聞き届け、多くの祈りはやがて祇園信仰となりました。

近代に入り神と仏は明確に分かたれ、祭の作法は変わりましたが、このコロナ禍を契機に、神仏への祈りの心は、祇園祭がはじまった平安の昔と少しも変わるところのないことを感じた方も多いのではないでしょうか。

八坂神社では今も祭礼を通して氏子の皆様の暮らしに息づく祇園信仰を要に、神仏が相和(あいわ)して人々の祈りに応えた時代に照らしながら、大神様の御神威(ごしんい)を遍(あまね)く人々の元に届け、氏子崇敬者の皆様の心豊かな生活に貢献できるよう努めて参ります。

 

◯これほど、御祭神をいい加減に扱っている神社も珍しいのではないか。どう考えても素戔嗚尊が牛頭天王であることは考えられない。併せて、薬師如来が本地仏であることなど、何処が神社であるかが判らない。

◯ちなみに、ウィキペディアフリー百科事典が案内する八坂神社は、次の通り。

      八坂神社

八坂神社(やさかじんじゃ)は、京都府京都市東山区祇園町北側にある神社二十二社(下八社)の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社

全国にある八坂神社素戔嗚尊を祭神とする関連神社(約2,300社)の総本社であると主張している。通称として祇園さん八坂さんとも呼ばれる。祇園祭(祇園会)の胴元としても知られる。

元の祭神であった牛頭天王祇園精舎守護神であるとされていたことから、元々「祇園神社」「祇園社」「祇園感神院」などと呼ばれていたものが、慶応4年=明治元年(1868年)の神仏分離令により「八坂神社」と改名された。

 

◯八坂神社へ参詣すると判るのだが、その様相は、どう考えても、お寺のそれだろう。まるで神社らしく無い神社が八坂神社である。どうしてこういう祀り方をなされているかが、よく判らない。もともと日本では神仏習合は当たり前のことであった。それを無理に分離しようとするから、こういうおかしな話となる。

◯日本へ仏教が伝来した時、仏教は既に神仏習合の形で導入されたのである。つまり、最初から神仏習合であったものを分離することは不可能だろう。それが日本の仏教である。祇園の名からしても、ここは仏教聖地とするべきなのではないか。

◯無理に神社としているからおかしな話となっている。上記した八坂神社のホームページが如実にそのことを物語っている。当古代文化研究所では、そういうふうに判断している。