忠盛灯籠 | 古代文化研究所:第2室

古代文化研究所:第2室

ブログ「古代文化研究所」で、書き切れなかったものを書き継いでいます。

◯八坂神社境内に、次の案内板が設置してあった。

      忠盛灯籠

  永久年間の頃(十二世紀)、白河法皇が祇園女御の許に

  赴かれようとしてこのあたりを通られた時、折しも

  五月雨の降る夜で前方に鬼のようなものが見えた。

  法皇は供の平忠盛に討ち取ることを命じられたが、

  忠盛はその正体を見定めての上と、これを生捕りに

  したところ、油壷と松明とを持ち、灯籠に燈明を

  献ろうとしていた祇園の社僧であった。雨を防ぐ為に

  被っていた蓑が灯の光を受けて銀の針のように見えた

  のであった。忠盛の思慮深さは人々の感嘆するところ

  であったと云う。この灯籠はその時のものといわれて

  いる。

◯これだけでは、なかなか一般の方には理解されまい。相当に「平家物語」に通暁していない限り、無理な話である。もっとも、昔の人は、これだけで、十分納得したのであろうが。現代人には、残念ながら、その素養が無い。

◯そういう意味で、次の説明は参考になる。

      忠盛灯籠

八坂神社本殿の東側に、柵に囲まれてある古びた灯籠がある。これが忠盛灯籠である。忠盛とは、平家の棟梁であった平忠盛のことを指し、その武勇にまつわる伝説が残されている。

『平家物語』巻之六によると、五月のある雨の夜、白河法皇が愛妾の祇園女御の許へ訪れようと、八坂神社の境内を通りがかった時のこと。法皇一行の前方に光るものが見えた。薄ぼんやりと見えるその姿は、銀の針で頭が覆われ、手に光る物と槌を持った不気味なものであった。鬼であろうと恐れおののいた法皇は、すぐに供回りの者にこの物の怪を討ち取るように命じた。

命を仰せつかったのは平忠盛。しかし忠盛は、すぐに打ち掛かろうとはせず、まずそのあやかしの様子を探り、頃合いを見計らってたちどころに生け捕りにしたのであった。

鬼と思っていた者の正体は、雑用を務める老僧で、油の入った瓶を持ち、土器に火を入れて、境内の灯りをともして回っていたのであった。頭に生えた針は、雨除けにかぶっていた藁が火の光に当たって輝いたように見えていただけであった。

無益な殺生を防いだ忠盛の思慮深さに人々は感嘆し、その後、法皇は祇園女御を忠盛に与えたのであった。その時既に女御は懐妊しており、生まれた子が後の平清盛になると物語では説明している。忠盛灯籠は、この逸話の時に老僧が火を入れようとしていた灯籠であるとされている。

◯「平家物語」が一般人の教養の一つとして、当たり前の時代なら、八坂神社の説明で十分だったに違いない。ただ、現在は、なかなかそれだけの素養が無い。文化が無いとは、まさに、こういうことを指すのであろう。