祇園 | 古代文化研究所:第2室

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ブログ「古代文化研究所」で、書き切れなかったものを書き継いでいます。

◯当古代文化研究所が目指すのは、一応、八坂神社であるが、その界隈が祇園と呼ばれる。インターネットで検索すると、次のページがヒットした。

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祇園は、今も昔も京都を代表する繁華街として知られています。京都駅からもアクセスが良く、観光しやすいエリアとして国内外問わず多くの観光客が訪れる人気エリアです。グルメも観光も楽しめる見どころたっぷりの祇園の名所をご紹介します。

      八坂神社

 「八坂さん」「祇園さん」の愛称で親しまれる祇園のシンボル「八坂神社」。創建は1000年以上も前、斉明天皇2(656)年といわえています。こちらに祀られているのは、イザナギ(男神)とイザナミ(女神)の間に生まれたスサノヲノミコト。朝廷殻に加えて武家の崇敬もあつく、平清盛、源頼朝、足利将軍家、豊臣秀吉、徳川幕府と時の権力者より多くの寄進を受けた神社です。

 

◯ウィキペディアフリー百科事典が案内する祇園は、次の通り。

      祇園

祇園(ぎおん)は京都市東山区にある、京都の代表的な繁華街及び歓楽街

現在の八坂神社は明治以前は祇園社(ぎおんしゃ)と称し、鴨川一帯までの広大な境内地を保有していたため、この界隈のことを祇園と称する(「祇園」の語源については祇園精舎を参照)。その鳥居前町は元々は四条通に面していたが、明治以降に鴨川付近から東大路通・八坂神社までの四条通の南北に発展した。舞妓がいることでも有名な京都有数の花街であり、地区内には南座歌舞伎劇場)、祇園甲部歌舞練場、祇園会館などがある。現在は茶屋、料亭のほかにバーも多く、昔のおもかげは薄らいだが、格子戸の続く家並みには往時の風雅と格調がしのばれる。北部の新橋通から白川沿いの地区は国の重要伝統的建造物群保存地区として選定、南部の花見小路を挟む一帯は京都市の歴史的景観保全修景地区に指定され、伝統ある町並みの保護と活用が進んでいる。また、鴨川を西に挟んだ対岸には三条通から四条通にかけて花街である先斗町があり、夏期頃には先斗町のお茶屋、料亭、各レストラン、バーが鴨川納涼床を設置し風流な光景が広がる。

また、四条通と東大路の交差点は「祇園」交差点である(しばしば「祇園石段下」とも言う)。交差点付近に京阪バスの祇園バス停留所がある。

もと山城国愛宕郡八坂郷八坂廻り下京区八坂廻り(昭和4年(1929年)まで)。なお、名の由来となった祇園社(感神院)は祭神の牛頭天王祇園精舎の守護神とされていたのでこの名になった。

 

◯現在は、八坂神社となっているが、八坂神社の正門とも言える、西楼門を見れば判る通り、どう考えても、八坂神社の様相は神社では無くて、お寺だろう。そのことは、次回に述べる八坂神社で明らかにしたい。

◯そのことは、もともとここが祇園社と呼ばれたことからも明らかである。上記説明にもあるように、祇園は祇園精舎の謂いである。その門前町が祇園と言うことになる。昔は多くの人々が物見遊山に祇園社を訪れた。その賑いが祇園を形成した。

◯それは昔から今も変わらない。京都で、最も賑やかな通りが四条通りであり、その四条通りの東端に位置するのが八坂神社の西楼門と言うことになる。京都の北に存在するのが御所であり、東に位置するのが八坂神社だと言うことになる。