如意論堂 | 古代文化研究所:第2室

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ブログ「古代文化研究所」で、書き切れなかったものを書き継いでいます。

◯醍醐山の山頂に建つのが、如意輪堂と開山堂になる。上醍醐でも、最も奥に位置する。如意輪堂前には、次の案内板が建っていた。

      重要文化財 如意輪堂

   此の堂宇は、開山入師が准胝堂と共に自己の如意輪観世音菩薩を

  祀った由緒深いものであるが、再三焼失の其の都度再建され、現在

  の建物は、慶長十一年に豊臣秀頼により再建されたものであるが、

  その木造りは大阪に於いて行われたものである。

   醍醐寺新要録によれば『結構華美前代の堂に十倍す』とあり、此

  の堂の再建当時の美麗と、昔時の簡素さがしのばれる。

   本尊は二臂如意輪観世音で、豊家ゆかりの女房衆の寄進になると

  のことである。

 

◯醍醐寺のホームページには、次のように載せる。

      如意輪堂

如意輪堂は、醍醐寺開山の理源大師聖宝が上醍醐を開いた際、准胝堂と共に最初に建てた建物で、「醍醐寺縁起」では、創建を貞観18年(876)のこととしています。現在の建物は慶長11年(1613)建立のもので本尊如意輪観音と共に脇の間に毘沙門天、吉祥天が祀られています。

 

◯ちなみに、ウィキペディアフリー百科事典には、如意輪観音について、次のように載せる。

      如意輪観音

如意輪観音(にょいりんかんのん、: Cintāmaṇicakra、チンターマニチャクラ)は、仏教における信仰対象である菩薩の一尊。観音菩薩の変化身(へんげしん)の一つであり、六観音の一尊に数えられる。

三昧耶形如意宝珠、紅蓮華。種字はキリーク(ह्रीः、hrīḥ)。

日本では「如意輪観音菩薩」、「如意輪観世音菩薩」、「大梵深遠観音」などさまざまな呼び方があるが、重要文化財等の指定名称は「如意輪観音」となっている。また「救世菩薩」とも呼ばれる。

如意とは如意宝珠(チンターマニ)、輪とは法輪(チャクラ)の略で、如意宝珠の三昧(定)に住して意のままに説法し、六道の衆生の苦を抜き、世間・出世間の利益を与えることを本意とする。如意宝珠とは全ての願いを叶えるものであり、法輪は元来古代インドの武器であったチャクラムが転じて、煩悩を破壊する仏法の象徴となったものである。六観音の役割では天上界を摂化するという。

 

◯現在、醍醐寺の本尊は薬師如来となっているが、少なくとも、理源大師聖宝が醍醐寺を開山した当時は、本尊は観音であったことは間違いない。そういう醍醐寺の歴史を見逃してはなるまい。