開山堂 | 古代文化研究所:第2室

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ブログ「古代文化研究所」で、書き切れなかったものを書き継いでいます。

◯醍醐山の山頂に建つのが、如意輪堂と開山堂になる。上醍醐でも、最も奥に位置する。開山堂前には、次の案内板が建っていた。

      重要文化財 開山堂

   最初延喜年間に建立され次いで寛治六年(一〇九二)に改築されたが、

  其後二回にわたり祝融にあい、現在の堂宇は慶長十一年(一六〇六)豊臣

  秀頼の再建されたもので、雄大な桃山時代調をよく発揮した山上最大の建

  造物である。其の様式に於ては注意を要する点が多々あるが、外観に於て

  は、側面前端の間の扉で、ここでは縁が切断されており、扉が亀腹上にま

  で達しておることである。

   堂の内内陣には、中央に開山聖宝理源大師、左に弘法大師、右に醍醐寺

  一世座主観賢僧正の像が奉安されてある。

 

◯また、別に、次の案内板もあった。

      開山堂(重要文化財)

   醍醐寺を開いた聖宝尊師は、延喜九年(九〇九)に遷化された。後を

  受けた弟子の観賢が、聖宝尊師を祀るために、延喜十一年(九一一)頃

  に開山堂を建立した。

   開山堂は、その後、度々火災にあったが、その都度、再建されている。

  現在の開山堂は、慶長十三年(一六〇八)に豊臣秀頼の寄進を受けて新築

  された。間口が五間、奥行きが八間で、正面には軒唐破風が付く大規模な

  建造物である。同時に内部には雲・竜・牡丹・唐獅子の透かし彫りなど慶

  長年間の端正で自由闊達な意匠もあり、豊臣時代を代表する建造物でもある。

   この再建時に、聖宝像が祀られていた場所の地中から遺骨を収めた壺が

  出てきており、開山堂は、同じ場所で再建され続けてきたことが判明している。

   尚、現在も堂内に安置される聖宝理源大師像は、文応元年(一二六〇)の

  火災の後、弘長元年(一二六一)の再建時に新たに祀られた坐像であり、

  肖像彫刻を代表する作品であり、重要文化財に指定されている。

            京都府

 

◯醍醐寺のホームページが案内する開山堂は、次の通り。

      開山堂

醍醐寺の開山、聖宝・理源大師を奉安したお堂。最初は御影堂(みえどう)といい、延喜11年(911)に理源大師の弟子、醍醐寺第一世座主、観賢僧正によって建立されましたが、後に焼失。鎌倉時代に再建されたものの荒廃してしまいました。現在のお堂は、慶長11年(1606)に豊臣秀頼によって再建されたもので、雄大な桃山時代の特徴をよく表した山上最大のお堂です。
お堂の内陣には、中央に醍醐寺開山聖宝理源大師像、左に真言宗宗祖弘法大師像、右に醍醐寺第一世座主・観賢僧正像が奉安されています。

 

◯別に、次のページもヒットした。

      醍醐寺の開山堂

 醍醐寺の開山・聖宝理源大師を祀る堂。

 911年(延喜11年)、醍醐寺第一世座主・観賢僧正によって創建された。

 現在の建物は、1606年(慶長11年)、豊臣秀頼による再建で上醍醐最大。

 内陣中央に聖宝理源大師像、左に真言宗宗祖弘法大師像、右に醍醐寺第一世座

 主・観賢僧正像が祀られている。