醍醐寺 | 古代文化研究所:第2室

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ブログ「古代文化研究所」で、書き切れなかったものを書き継いでいます。

◯前回、ブログ『醍醐寺へ』を書いたばかりである。続けて、ブログ『醍醐寺』を書くのも、何かと思うが、やはり、必要だと思うので、書くしか無い。

◯醍醐寺のホームページが案内する醍醐寺は、次の通り。

      醍醐寺について

      歴史・縁起

総本山醍醐寺200万坪におよぶ広大な境内地にそびえる国宝五重塔は、静かに1,100年以上の時の流れを語り伝えています。

京都御所の東南、東山を越えると山科盆地がひろがり、この地は古くから大和・宇治・近江を経て遠く北陸に到る幹線道路があり、平安京の東南近郊の一地区として注目されて来た場所です。醍醐寺は、この盆地の東側、笠取の山頂にかけての広大な地域に位置し、山頂一帯を「上醍醐」山裾を「下醍醐」と称しています。

平安時代の初期、聖宝理源大師は、自刻の准胝・如意輪両観世音菩薩を開眼供養し、醍醐寺開創の第一歩を上醍醐に標し、以来、醍醐天皇、穏子皇后の帰依のもと、上醍醐に薬師堂を建立、薬師三尊を奉安、鎮護国家のために五大堂を建て、五大明王を奉られました。

      祖師 聖宝・理源大師

醍醐寺の開山・聖宝は、天長9年(832)讃岐の塩飽諸島の本島(現在の香川県丸亀市本島正覚院)に御誕生、承和14年(847)16歳の時、真雅僧正の室に入り得度・出家されました。以来、東大寺の東僧坊南第2室に住し、元興寺の願暁阿闍梨・円宗阿闍梨に師事し、三論を学び、東大寺平仁阿闍梨のもとで法相を修学されました。さらに東大寺玄永阿闍梨に華厳を、真蔵阿闍梨のもと律を学ばれました。この間、金峯山をはじめ霊山に抖櫢し峰中修行を実修し大きな祈りの世界を感得されました。

 

◯また、京都府が案内する醍醐寺は、次の通り。

      世界遺産(世界文化遺産)醍醐寺

 空海の孫弟子理源大師聖宝が醍醐山上に草庵を営んだのに始まる。現存する堂宇のほとんどは桃山時代以降のものだが、どっしりと落ちついた五重塔(国宝)は天暦6年(952年)の建立で、府内最古の木造建築物。

 三宝院(庭園は特別史跡・特別名勝)には、桃山時代の豪華な襖絵で飾られた葵の間、秋草の間、勅使の間(重要文化財)に続き、表書院(国宝)がある。
 史跡に指定された境内は、下醍醐、上醍醐に分かれ、100余りの堂塔が散在する。
 毎年、2月23日には、「五大力尊仁王会」(五大力(ごだいりき)さんの愛称で親しまれている。)が行われ、この日に限って授与される御影(みえ=お札)は、災難除けのお守りとされている。 また、有名な餅上げは、男子150Kg、女子90Kgの大鏡餅に挑戦する。
 4月第2日曜日には、豊臣秀吉が催した「醍醐の花見」にちなんだ「豊太閤花見行列」が華麗な桃山絵巻を繰り広げる。

 

◯醍醐寺は大寺である。あまりに見物が多い。本当は、一日二日では見尽くせない。ただ、時間的にそれ程、ここばかり見るわけにもいかない。とりあえず、見て来たものを案内するだけである。もちろん、それぞれに詳しい説明が必要だが、とてもそんな余裕は無い。