下醍醐 | 古代文化研究所:第2室

古代文化研究所:第2室

ブログ「古代文化研究所」で、書き切れなかったものを書き継いでいます。

◯ここまで、ブログ『醍醐寺へ』、『醍醐寺』と書いている。もう十分と言う気もするが、醍醐寺は大寺である。まだまだ説明は尽きない。それで、『下醍醐』」と題して、もう一つ、書いておきたい。

◯繰り返しになるけれども、ウィキペディアフリー百科事典は、醍醐寺について、次のように案内している。

      醍醐寺

醍醐寺(だいごじ)は、京都市伏見区醍醐東大路町にある真言宗醍醐派総本山となる寺院山号は醍醐山(深雪山とも)。本尊薬師如来。上醍醐の准胝堂(じゅんていどう)は、西国三十三所第11番札所で本尊は准胝観世音菩薩。京都市街の南東に広がる醍醐山(笠取山)に200万坪以上の広大な境内を持ち、国宝重要文化財を含む約15万点の寺宝を所蔵している。豊臣秀吉による「醍醐の花見」が行われた地としても知られている。「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されている。

  札所本尊真言(准胝観音):おん しゃれい それい そんでい そわか

  ご詠歌(上醍醐):逆縁ももらさで救う願なれば 准胝堂はたのもしきかな

 

◯ご詠歌にもあるように、准胝堂が上醍醐の本堂と言うことになるのだろう。下醍醐の金堂に祀られているのが薬師如来と言うことなのだろう。醍醐寺のホームページでも、

      金堂

   醍醐天皇の御願により延長4年(926)に創建された建物。当時は釈迦堂といわれて

  いましたが、永仁、文明年間に二度焼失しました。現在の金堂は豊臣秀吉の命に

  よって紀州(和歌山県)湯浅から移築が計画され、秀頼の時代、慶長5年(1600)に完成

  しました。この金堂が、醍醐寺の中心のお堂であり、安置されている薬師如来坐像

  が醍醐寺の本尊です。

とある。

◯ただ、醍醐寺の歴史は古い。もともと、上醍醐が醍醐寺の中心であったことを考えれば、本来、醍醐寺の本尊は准胝観世音菩薩とするのが良いような気がする。現在では、下醍醐と上醍醐は、拝観所も別で、まるで、別寺のような対処の仕方である。下醍醐は三宝院と仁王門に拝観所が存在し、上醍醐は、女人堂脇に拝観所が存在する。

◯その下醍醐でも、醍醐寺と三宝院とは別扱いみたいな感じであるし、三宝院は、きれいに整備されている観がするが、仁王門からの醍醐寺境内は、もの凄く、傷んでいるし、まるで手が入っていないことが判る。

◯当古代文化研究所では、2022年2月2日に、すでに醍醐寺三宝院へ参詣済みである。

  ・テーマ「京都ぶらり旅」:ブログ『醍醐寺』

 

  ・テーマ「京都ぶらり旅」:ブログ『三宝院』

 

◯ただ、この時は時間が無くて、取り敢えず、三宝院だけに参詣した。それで、今回、上醍醐までお参りしようと思った次第である。やはり、上醍醐まで出掛けないと、醍醐寺にお参りしたことにはならない。

◯ウィキペディアフリー百科事典は、下醍醐と上醍醐についても、詳しく触れている。ここでは、下醍醐のみを案内しておく。

      下醍醐

本尊の薬師如来像を安置する金堂、三宝院などを中心に、上醍醐とは対照的に絢爛な大伽藍が広がっている。応仁の乱でほぼ全焼し、その後も焼失と再建を繰り返しているが、五重塔は創建当時のまま現在に残る。また五重塔内部の壁画も国宝に指定されており、壁画中の空海像は同人の肖像としては現存最古のものである。

  ・金堂(国宝)

  ・五重塔(国宝)

  ・清瀧宮本殿(重要文化財)

  ・不動堂

  ・真如三昧耶堂 

  ・祖師堂

  ・西大門(仁王門)

  ・観音堂

  ・弁天堂

◯一通り、下醍醐を見て歩いた。これだけでも、普通の寺なら十分である。醍醐寺では、下醍醐の境内を抜けて、やっと上醍醐への登山道になる。