邪馬台国は何処か | 古代文化研究所:第2室

古代文化研究所:第2室

ブログ「古代文化研究所」で、書き切れなかったものを書き継いでいます。

◯畝傍山から香具山に辿り着いて、ブログ『香具山:西側登山口』から、『香具山』、『大和三山とは何か』、『天降り付く天の香具山』、『邪馬台国の風景』とあらぬ方向に向かっていると思われるかもしれない。しかし、もともと、邪馬台国三山の検証のために訪れたのが大和三山なのだから、この方向は、あながち、間違っているわけでも無い。

◯ここまで来たら、どうしても『邪馬台国は何処か』と言う話に触れない訳にはいかない。多くの方々が、邪馬台国が畿内だとか、北九州だとか、佐賀吉野ケ里だとか、おっしゃって、枚挙にいとまがない。しかし、中国の正史「三国志」を読む限り、そういうことは、絶対にあり得ないことである。そのことは自信を持って言える。

◯邪馬台国を論ずる人々は、誰もが「魏志倭人伝」を読んだとおっしゃるが、そう簡単に「魏志倭人伝」は読める代物では無い。字数にして、わずか、1986字。眺めること自体は、5分もあれば眺められる。しかし、そんなのは読んだとは言わない。表現者の真意を汲み取って、始めて、それを読んだことになる。

◯実際、「魏志倭人伝」1986字を読むことは至難の業なのである。その証拠に、「魏志倭人伝」が書かれたのは、三世紀のことであるが、それ以来、およそ1800年が経過しようとしているのに、これまで、誰一人、まともに、「魏志倭人伝」を読んだ人はいない。

◯その証拠に、「魏志倭人伝」の主題は何かと問われて、答えることができない。それでは到底、「魏志倭人伝」を読んだことにはならない。当古代文化研究所では、そういう研究をしている。結果、すでに、邪馬台国は発見されている。それは次のように案内される。

  【渡海三国】
    ・狗邪韓国・対馬国・壱岐国
  【北九州四国】
    ・末廬国・伊都国・奴国・不弥国
  【中九州二十国】
    ・斯馬国・巳百支国・伊邪国・都支国・邇奴国・好古都国・不呼国
    ・姐奴国・対蘇国・蘇奴国・呼邑国・華奴蘇奴国・鬼国・為吾国・
    ・鬼奴国・邪馬国・躬臣国・巴利国・支惟国・烏奴国・(奴国)
  【南九州三国】
    ・投馬国・邪馬台国・狗奴国

◯この「魏志倭人伝」の主題すら、これまで、誰一人として、明らかにできない。「三国志」の編者である陳寿が、どういう目論見を抱いて、「魏志倭人伝」をものしたか。それを明らかにするのが読者の責務であることは言うまでもない。

◯上記した、「魏志倭人伝」の主題を見て、感動を覚えないようでは、歴史を語ることはできない。中国の史家には、一種独特の考え方がある。それは、普通には、歴史を表現しないことに尽きる。それは孔子の「春秋」から始まった。したがって、それを「春秋の筆法」と言う。

◯陳寿は司馬遷の崇拝者であるからして、よく「史記」を読んでいることが判る。そのことは、「史記」の愛読者で無い限り、理解されない。当古代文化研究所も、「史記」の愛読し、司馬遷を崇拝していることを自認している。

◯ちなみに、どれくらい司馬遷の崇拝者かと言うと、司馬遷の故郷とされる韓城まで、わざわざ出かけるくらい、崇拝している。また、司馬遷の「史記」の最高傑作は、誰が何と言おうと、『項羽本紀』である。ある意味、『項羽本紀』をものするために「史記」は著されたと言っても過言では無い。それ程、『項羽本紀』は恐ろしい。

◯正確に言うと、当古代文化研究所は、項羽の大フアンなのである。たぶん、司馬遷もそれは同じである。『項羽本紀』を読むと判るのだが、司馬遷は最初から最後まで、興奮している。それも尋常の興奮では無い。

◯決定的な話を一つだけすると、司馬遷は6996字で、項羽本紀をものしている。これは恐ろしい数字である。それが判らないようでは、司馬遷の「史記」を読む資格は無い。そういうふうに、司馬遷は思って「史記」をものしている。

◯同じように、「三国志」を考えると、「三国志」の英雄は誰だか、ご存知だろうか。もちろん、「三国志」最大の英雄は諸葛孔明である。司馬遷が「史記」のヒーローを悲劇の英雄、項羽としたように、陳寿も「三国志」のヒーローを悲劇の英雄、諸葛孔明としている。

◯そんな「三国志」の中で、「魏志倭人伝」の地位は、意外に高い。と言うのは、「三国志」の中で、外国伝は、九国を案内している。その九国の中で、唯一、評価されているのが倭国及び倭人なのである。誰も、そういうことを認識しないで、「魏志倭人伝」を読んでいる。

◯日本国の始まりが何処か、ご存知だろうか。日本では、日本の始まりは、天孫降臨神話から始まっている。人類の始まりだと言うことにもなる。今どき、そういうことは、誰も信じない。しかし、昔は、皆、それを信じていた。それが日向神話になる。

◯旧日向国の最高峰が天孫降臨した山であることは、当たり前の話である。それは霧島山(1700m)になる。しかし、現実には、霧島山と言う山は無い。霧島山は23個か26個の山々の集合体を指す。だから、見る方角に拠って、山容がまるで違う。

◯だから、まるで、クネクネくねっているように見える。それが「うねびやま」の正体である。ただ、霧島山には顔がある。それが高千穂峰(1574m)である。当然、天孫降臨の尊は、この高千穂峰に降臨なさったとされる。

◯その邪馬台国には大きな山が三つ存在する。それが邪馬台国三山である。

  うねびやま=霧島山(1700m)
  かぐやま=桜島山(1111m)
  みみなしやま=開聞岳( 924m)

◯判るように、大和地名そのものが日向国のものなのである。奈良県の大和地名は、邪馬台国から移民した人々が故郷を懐かしんで命名したに過ぎない。その大和地名については、次回に、詳しい話をしたい。