そらみつ・しきしまの・あきつしま | 古代文化研究所:第2室

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ブログ「古代文化研究所」で、書き切れなかったものを書き継いでいます。

◯前回、ブログ『邪馬台国は何処か』を書いて、邪馬台国三山が存在するところが邪馬台国だと言う話をした。ちなみに、邪馬台国三山とは、次の山々を指す。

  うねびやま=霧島山(1700m)
  かぐやま=桜島山(1111m)
  みみなしやま=開聞岳( 924m)

◯この邪馬台国三山のレプリカが、奈良県橿原市に存在する大和三山だと言うことになる。

  畝傍山(199m)

  香具山(152m)

  耳成山(139m)

◯前回のブログの最後に、こう書いた。

  ・その邪馬台国には大きな山が三つ存在する。それが邪馬台国三山である。

    うねびやま=霧島山(1700m)
    かぐやま=桜島山(1111m)
    みみなしやま=開聞岳( 924m)

  ・判るように、大和地名そのものが日向国のものなのである。奈良県の

  大和地名は、邪馬台国から移民した人々が故郷を懐かしんで命名したに

  過ぎない。その大和地名については、次回に、詳しい話をしたい。

◯したがって、ブログ名である『そらみつ・しきしまの・あきつしま』が、何を意味するか、お判りだろうか。

  そらみつ

  しきしまの

  あきつしま

の三つは、全て、大和に掛かる枕詞なのである。通常、一地名に枕詞は一つである。それが三つも存在する。そんな地名は他に無い。それ程、大和地名は、日本国に於いて必要、かつ、大事な地名だったことが判る。

◯前に、ブログ『天降り付く天の香具山』の話をした。枕詞「天降り付く」は、香具山に掛かる枕詞である。したがって、本物の香具山は、枕詞「天降り付く」が説明できるところであることは、間違いない。

◯逆に言うと、枕詞「天降り付く」が説明できないところの山は、本物の香具山では無いことになる。そういう意味では、奈良県橿原市の香具山はレプリカであることが判る。同じように、枕詞「天降り付く」が説明できる桜島山が本物の香具山であることがはっきりする。

◯当古代文化研究所は歌論が専門で、「万葉集」や枕詞に、それ程、詳しいわけでは無い。ところが、日向国では、現代でも、多くの枕詞が存在し、説明することができる。やはり、枕詞の全盛期は日向国であったことが判る。

◯枕詞『そらみつ・しきしまの・あきつしま』を説明するだけで、最低でも、三つのブログが必要となる。しかし、ここで、そのスペースを取るだけの余裕が無い。それで、ここでは、その結論だけを案内するしかない。

◯まずは枕詞「そらみつ」から。実は枕詞にも歴史が存在し、その中でも、枕詞「そらみつ」は最も古い時代のものである。したがって、これが枕詞としては最も難しい。つまり、「そらみつ やまと」が何を意味するかである。

◯結論から先に述べると、枕詞「そらみつ」が案内するのは、太陽信仰だとするしかない。全世界を朝の陽光が照らし出している様になる。その太陽崇拝はまた仏教信仰であることも見逃せない。その原型を見たければ、中国浙江省舟山群島の普陀山を訪れるしかない。

◯当古代文化研究所では、長い時間を掛けて、そのことを追求して来ている。もちろん、普陀山にも、これまで、六回、参詣済みである。一回や二回、普陀山へお参りしたところで、それに気付くことは無理な気がする。少なくとも、当古代文化研究所の場合、そうだった。

◯そういう意味で、枕詞「そらみつ」が掛かるのは、正確には、大和地名と言うよりも、大和三山そのものであることが、よく判る。奈良県橿原市に、当古代文化研究所はこれまで、八回、大訪れ、実際、大和三山に登って来たが、大和国の大和三山は、すでに、そういう信仰を完全に見失っている。したがって、枕詞「そらみつ」が説明できる状況では無い。

◯それに対して、枕詞「しきしまの」や「あきつしま」の概念は、まるで別物であることに留意する必要がある。枕詞「しきしまの」と「あきつしま」の概念は、ほぼ同じだが、枕詞「そらみつ」だけは、全然、別物となる。

◯つまり、枕詞「そらみつ」の時代が最も古く、その時代の大和地名が指すのは、大和三山の地域であったことが判る。それに対して、枕詞「しきしまの」や「あきつしま」の時代になると、その範囲は、九州島全体にまで、拡大する。

◯面白いことに、枕詞の中には、「大地名+小地名」を案内するものが幾つか存在する。つまり、「大地名」の中の「小地名」を、枕詞として説明するものである。その場合、「大地名」部分が枕詞として、案内される。

◯例えば、渋谷地名を表現する場合に、「東京の渋谷」と表現するような具合である。この場合、「東京の」が枕詞になる。もともと、枕詞は、そういう素朴なところから発生していることが判る。なかなか枕詞は面白い。

◯枕詞「しきしまの」が、まさに、そういう枕詞になる。つまり、大地名が「しきしまの」であって、小地名が「大和」だと言うことになる。その小地名地域が大和三山の存在するところだとすれば、おのずから、大地名が見えてくる。結果、枕詞「しきしまの」が表現するところは、大地名である九州島であることが判る。何とも、驚くべき表現法である。それが枕詞なのである。

◯最後に残ったのが、枕詞「あきつしま」である。枕詞「あきつしま」は、よく「蜻蛉島」して表現される。つまり、「あきつ」とは、「トンボ=蜻蛉」のことになる。それが何を意味するのか、なかなか理解できない。

◯しかし、九州に住んでいれば、そのことは誰にでも、容易に納得することができる。もっとも、トンボの形状に詳しくないと駄目だが。トンボには、大きな眼が二つあって、大きな頭と小さな胸があって、左右に、二枚の羽が付いていて、長い尾が伸びている。そして、その長い尾の先は二つに割れている。

◯おおよそ、それがトンボの形状である。それは、そのまま、九州島の形状でもある。対馬・壱岐と、大きな眼が二つあって、長崎・佐賀・福岡と、大きな頭が存在し、熊本・大分の小さな胸が存在し、その下に、宮崎・鹿児島の長い尾が付属している。トンボの羽は、どうなっているかと言うと、左側は五島列島と天草諸島で、右側は中国地方と四国になる。おまけに、錦江湾と言う、70kmを超す、尾の割れ目まで、丁寧に存在する。これが枕詞「あきつしま」の正体であることは言うまでもない。

◯古代人の知恵は凄まじい。それが枕詞である。日向国では、現在でも、普通に、枕詞を見ることができる。もちろん、それには、当然、相応の理解が必要になるけれども。