香具山 | 古代文化研究所:第2室

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ブログ「古代文化研究所」で、書き切れなかったものを書き継いでいます。

◯参考までに。畝傍山に付いては、次のブログを書いた。

  ・テーマ「京都奈良大阪を歩く」:ブログ『畝傍山』

 

◯ちなみに、橿原市のホームページが案内する香具山は、次の通り。

      香具山

平成17年に名勝指定された大和三山(やまとさんざん)と呼ばれる香具山(かぐやま)・畝傍山(うねびやま)・耳成山(みみなしやま)のうちの1つです。
標高152.4メートル。万葉集では「天香具山」(あまのかぐやま)と詠われて、山というよりは丘の印象が強い南から続く竜門山地の先端部分に連なる山です。
山塊は、閃緑岩や斑レイ岩などの堅い岩石で構成されているため浸食の度合いが低かったようです。
大和三山の中で、最も神聖視されています。「天の」を冠するのは、天から降り来た山と言われていますが、その山の位置や山容が古代神事にふさわしいゆえに、あがめられたものだとも思われています。
山中には南に天岩戸神社(あまのいわとじんじゃ)、北に天香山神社(あまのかぐやまじんじゃ)、さらに国常立神社(くにのとこたちじんじゃ)があり、それらが一種の霊気のようなものを発散させています。
万葉集では、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)が大和三山のことを詠んだ歌があります。
「香具山は 畝火ををしと 耳梨と 相あらそひき 神代より 斯くにあるらし 古昔も 然にあれこそ うつせみも 妻をあらそふらしき」  

 

◯相変わらず、大和三山を、

  香具山・畝傍山・耳成山

の順序で案内している。これが誤りであることは間違いない。しかし、決して、橿原市を責めてばかりではいけない。その大本は、国(文部科学省)であって、国(文部科学省)が間違っていて、それを橿原市は踏襲しているに過ぎない。そういう意味でも、国(文部科学省)の責任は大きい。

◯確認するために、国指定文化財等データベースを見ると、次のように解説している。

      大和三山

大和三山は奈良盆地の南部に位置し、香具山(152.4m)、畝傍山(199.2m)、耳成山(139.7m)の3つの独立小丘陵から成る。香具山は多武峰から北西に延びる支稜線が浸食により切り離され、独立丘陵として残存したもので、畝傍山と耳成山はそれぞれ沖積盆地底に位置する円錐形のいわゆる死火山である。(中略)

大和三山を詠んだ和歌は多く、特に『万葉集』には中大兄皇子や柿本人麻呂の和歌をはじめ、持統天皇の「春過ぎて夏来るらし 白たへの衣ほしたり 天の香具山」など有名な和歌が多数収められている。『万葉集』のみならず『古今和歌集』や『新古今和歌集』など後続の勅撰和歌集にも大和三山を詠った和歌が数多く見られ、大和三山は重要な歌枕として、その観賞上の地位を確立していった。(中略)

以上のように、大和三山は日本古来の神々が鎮座する山として神聖視されるとともに、古代宮都の造営に際して精神上又は景観上の重要な意義をもち、歌枕に関わる名所としても遍く知られた。その地形と樹叢がもつ観賞上の価値、名所的・学術的価値はともに高い。

 

◯間違いなく、国(文部科学省・文化庁)が間違っていることがはっきりする。古来、大和三山は、

  畝傍山・香具山・耳成山

と並べるのがしきたりだった。それを勝手に変更したのが国(文部科学省・文化庁)だと言うのだから、何とも恐ろしい。今では、多くのところで、それに追従しているから、大変である。国(文部科学省・文化庁)はそれについて、どのように責任を取るのだろうか。早急に訂正するしかない。

◯どうしてそういうことが生じたのだろうか。それは、国(文部科学省・文化庁)の勘違いにある。大和三山の順序は、

  畝傍山・香具山・耳成山

ではなくてはならない理由が存在した。それを国(文部科学省・文化庁)が理解できないから、こういう我が儘勝手な判断を下した。

◯大和三山の筆頭は、畝傍山でなくてはならない。日本では、古来、そういうふうに決まっていた。それを21世紀の現代に勝手に変更することは、如何に、国(文部科学省・文化庁)であっても、できない。

◯なぜなら、日本の歴史が畝傍山から始まっていると大和朝廷が判断したからである。「古事記」も「日本書紀」も、そういう判断のもとに記録されている。そういう日本の伝統的な歴史観をひっくり返したのが国(文部科学省・文化庁)だと言うのだから、驚き、呆れる。

◯もっとも、日本の伝統的歴史観を変更しようと言う壮大な目論見が国(文部科学省・文化庁)にあるのなら、話は別だが。とてもそんな大逸れた構想を抱いての話とは思えない。単なる自己満足がそうさせたとしか、思えない。つまならい妄想か、勘違いに過ぎない。

◯ことわっておくが、畝傍山は日本創世の天孫降臨の世界山なのである。日本で、これ以上の山は存在しない。そのことは「古事記」や「日本書紀』が記録している史実なのである。現代の文部科学省や文化庁が変更できる代物では無い。

◯問題が大きくならないうちに、変更されることをお勧めする。どう考えても、間違いは間違いである。それ程、畝傍山は偉大な山である。その証拠に、神武天皇は畝傍山の麓に生まれ、畝傍山の麓に眠っている。それが大和国に畝傍山が存在する理由である。

◯真面目に、日本の歴史を研究すると、そういうことが判る。日本では、古来、大和三山は、

  畝傍山・香具山・耳成山

と並べるに決まっている。それを変更することは、国(文部科学省・文化庁)であろうと、決してできることではない。また、してはならないことである。