香具山:西側登山口 | 古代文化研究所:第2室

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ブログ「古代文化研究所」で、書き切れなかったものを書き継いでいます。

◯2022年12月19日、朝8時30分に近鉄橿原神宮前駅を出立し、橿原神宮参詣後、畝傍山山頂に立ったのが9時30分ころだった。その後、山を下りて、神武天皇陵へと向かう。10時15分ころに、神武天皇の御陵に参拝を済ませている。

◯畝傍御陵前駅を抜けて、国道169号線に出たところで、餃子の王将を見付け、10時30分と、少々、早いけれども、昼食を取った。それから先では、昼食が取れるところが無いと判断したからである。また、朝から歩き詰めで疲れても居た。

◯その後、本薬師寺跡や飛鳥川、藤原京朱雀大路跡、藤原宮跡などを通って、ようやく、香具山の麓に着いた。まずは、畝尾都多本神社へお参りする。その後、香具山西側登山口に到着したのが、12時6分だった。

◯近鉄の『てくてくまっぷ:大和三山回遊コース』では、飛鳥川からルートが異なっているので、完全には一致しないが、香具山の麓で、橿原神宮前駅から8000mとなっている。ほぼ、同じくらいの距離を歩いて来ていることになる。

◯ちなみに、『てくてくまっぷ:大和三山回遊コース』の全コースで14kmだから、すでに半分以上を歩いて来ていることになる。この『香具山:西側登山口』は、舒明天皇の国見の場所として知られる。もちろん、立派な歌碑もここには存在する。

○ここには、次の案内板が設置されていた。
      名勝 大和三山 香具山
            平成十七年七月十四日 文部科学省指定
 奈良盆地の南部に位置する、香具山(一五二・四m)、畝傍山(一九九・二m)、耳成山(一三九・七m)の三つの小高い山を総称し、大和三山と呼びます。香具山は桜井市の多武峰から北西に延びた尾根が浸食により切り離され小丘陵として残存したもので、畝傍山と耳成山は盆地から聳えるいわゆる死火山です。
 三つの山は古来、有力氏族の祖神など、この地方に住み着いた神々が鎮まる山として神聖視され、その山中や麓に天香具山社、畝傍山口坐神社、耳成山口神社などが祀られてきました。また、皇宮造営の好適地ともされ、特に藤原宮の造営に当たっては、東・西・北の三方にそれぞれ香具山・畝傍山・耳成山が位置する立地が、宮都を営むうえでの重要な条件にされたと考えられています。
 大和三山を詠んだ和歌は多く、大和三山は重要な歌枕として、鑑賞上の地位を確立したほか、近世の地誌、案内記、紀行文などでも紹介され、万葉世界を代表する名所として、広く知れわたるようになりました。
 香具山は伊予国風土記逸文に「天から降ってきた」という伝承が残っており、「天の香具山」とも呼ばれます。万葉集において「天」という美称がつけられた山は香具山だけで、このことから多くの山の中でも特別な位置付けを持っていたと考えられています。
      香具山を詠んだ万葉歌
  大和には  群山あれど  とりよろふ  天の香具山

  登り立ち  国見をすれば  国原は  煙り立ち立つ

  海原は  鷗立ち立つ  うまし国ぞ  蜻蛉島  大和の国は
                        舒明天皇(巻一   二)
  春過ぎて夏来るらし白栲の衣乾したり天の香具山
                        持統天皇(巻一   二八)
  久方の天の香具山このゆふべ霞たなびく春立つらしも
                        柿本朝臣人麻呂(巻十  一八一二)     
                    橿原市教育委員会  奈良森林管理事務所

◯いよいよ、畝傍山に続き、香具山登山となる。