奈良文化財研究所・藤原宮跡資料室 | 古代文化研究所:第2室

古代文化研究所:第2室

ブログ「古代文化研究所」で、書き切れなかったものを書き継いでいます。

◯前回、ブログ『畝尾都多本神社』を書いて、すでに、散々、『奈良文化財研究所・藤原宮跡資料室』を難じている。それなのに、改めて、『奈良文化財研究所・藤原宮跡資料室』を書くとなると、気の毒と言うしかない。

◯しかし、どう考えても、香具山の麓、畝尾都多本神社の隣に、ああいう建物を建てたこと自体がまずかった。現在、『奈良文化財研究所・藤原宮跡資料室』が存在するところは、大和三山の玄関先なのである。そういうところに、あんな近代的な建物はふさわしくない。当古代文化研究所は、これまで、8回、大和三山に登っている。

  第一回  1992年3月28日
  第二回  2003年8月11日
  第三回  2005年5月10日
  第四回  2009年3月29日
  第五回  2010年4月3日
  第六回  2011年5月3日

  第七回  2017年9月5日

  第八回  2022年12月19日

◯ブログを書き始めたのは、2007年の12月からだから、これまで、何度も『奈良文化財研究所・藤原宮跡資料室』を難じて来ていることになる。ある意味、大和三山は、日本創世の地だと言える。そういう大和三山の玄関先に、ああいう建物は似合わない。

◯しかし、難じてばかり居ては、気の毒でもある。決して、『奈良文化財研究所・藤原宮跡資料室』そのものが悪いわけではない。あそこに建てた人が悪いのである。もともと、『奈良文化財研究所・藤原宮跡資料室』は大事な研究所なのである。

◯インターネット検索すると、奈良文化財研究所のホームページがヒットした。

      奈良文化財研究所

奈良文化財研究所は、文化財の宝庫奈良の地で、多彩な専門分野の研究者が実物に即した文化財の総合研究をおこない、その研究成果を文化財の保護行政に役立てることを目的に、文化庁の前身である文化財保護委員会の附属機関として、昭和27年(1952)に設立されました。
発足当初は、主に南都諸大寺の総合調査を実施してきましたが、高度経済成長に伴う開発の波が奈良にも押し寄せると、古代国家形成期の都城である藤原宮跡や平城宮跡の保存問題を契機に、それらの都城の調査と研究が主たる業務となりました。昭和38年(1963) に平城宮跡発掘調査部、昭和48年(1973)に飛鳥藤原宮跡発掘調査部が設置され、また、国土開発に起因する埋蔵文化財問題に対処するために、昭和49年に埋蔵文化財センターが設置され、昭和50年には飛鳥保存に関する閣議決定に基づき飛鳥資料館が開館しました。
その後、行・財政改革による組織改変により、平成13年(2001)に東京文化財研究所と統合して独立行政法人国立文化財研究所となり、さらに平成19年(2007)には国立博物館と統合して独立行政法人国立文化財機構の機関となって今日に至っています。

 

◯ウィキペディアフリー百科事典が案内する奈良文化財研究所は、次の通り。

      奈良文化財研究所

奈良文化財研究所(ならぶんかざいけんきゅうじょ)は、奈良県奈良市二条町2丁目9-1に所在する独立行政法人国立文化財機構の一部門。古都奈良文化財埋蔵文化財の研究や平城宮跡、藤原宮跡の発掘調査も手がける。また奈良市明日香村に資料館などを公開している。略称、奈文研(なぶんけん)。所のシンボルマークは平城宮跡から出土した「隼人の楯」である。